2016年10月10日月曜日

船舶画家「上田毅八郎」追悼展 ~作品紹介編~

  「艦これ」の記事でも書かせていただきましたが、僕は、子どもの頃、海軍オタクでした。旧日本海軍の艦名をほとんど覚えていましたし、写真を見て艦名を当てることもできました。当然のことながら、プラモデルのウォーターラインシリーズを集めていました。僕は、艦艇が描かれたプラモデルの箱絵にも魅了されていました。プラモデルを作ってしまうと、箱は不要になりましたが、捨てることができなかった僕は、絵の部分を切り取って、大事にとっておいたのを覚えています。

 箱の絵(ボックスアート)を手掛けていた人たちは、箱絵画家と呼ばれ、その出来は、プラモデルの売上げを左右するものでしたから、各社とも力を入れていたようです。その箱絵画家の双璧といわれていたのが「小松崎茂」氏と「上田毅八郎」氏でした。
 上田毅八郎氏は、今年の6月に97才で逝去されました。先週、追悼展が「静岡ホビースクエア」で開かれました。わずか10日間ほどの小さな展覧会でしたが、地元の新聞社やテレビ局に取り上げられたためか、多くの人たちが訪れていました。
来場者は、プラモデルを作っていたようなマニアばかりでなく、一般の方も多かったように思います。お年を召された方が、家族に付き添われたりして、何人か来ていました。「天皇陛下から戴いた船に・・・」なんていう会話をしていましたから、どうやら、若い頃、海軍の兵隊さんだったようです。そうかと思えば、中学生くらいの女の子が、オタク的知識を披露していて、一体この子は、何をきっかけに海軍オタクになったのだろう、「艦これ」の影響だろうか、などと考えてしまいました。

 展覧会では、写真OKでした。「ご自由に撮って下さい。そして、拡散して下さい。作品を沢山の人たちに広めて下さい。きっと故人も喜ぶはずです。」とのことでしたので、僕もたくさん写真を撮ってきました。ただ、ほとんどの絵がパネルに入っていたものですから、蛍光灯などの映り込みがあって、僕の写真の腕ではちょっと力量不足でした。その中で、まあ上手く撮れたものをいくつか貼りつけさせていただきます。


 3本煙突が特徴の「軽巡洋艦」です。船体に錆が描かれているのが分かりますでしょうか。毅八郎氏の絵の最大の特徴は、リアルな描写にあります。氏は、太平洋戦争中に陸軍の高射砲兵・機銃士として輸送船に乗り込んでいました。各艦の波の切り方や船体の錆の出方などは、実戦で本物の軍艦を見ていた毅八郎氏だからこそ描けたと云います。
  「長良」型のようですが、主砲が対空砲に改装されています。調べてみましたら、どうやら軽巡洋艦「五十鈴」のようです。レトロな感じの3本煙突と近代的な対空兵装のアンバランスな感じが面白いです。それにしても、綺麗な海の色です。毅八郎氏は、船を描く前に、まず海や空を描いたそうです。


 こちらは、主砲が単装砲になっています。このタイプの巡洋艦は、旧式で地味でしたので、子どもの頃は、あまり格好いいと思いませんでしたが、大人になって良さが分かってきたように思います。背景も地味で、渋い感じです。「単装砲って、何気に侘び寂び」ってのは「艦これ」の台詞ですが・・・スミマセン、今回は「艦これ」の話は封印します。


 こちらは、新型の軽巡洋艦「阿賀野」型です。同じ軽巡洋艦でも印象がだいぶ違います。新型といっても、この船が就役した時には、すでに航空機戦の時代になっていました。


  僕が、軍艦の中で最も美しいと思っている「重巡洋艦」です。最上型のようです。時化の中を進 む巡洋艦の艦首を波が洗っています。毅八郎氏は、どのくらいの時化だと何処まで波を被るかが分かっていたそうで、決して、想像で描いているのではないとのことです。                                


夕日をバックにした。停泊中の重巡洋艦「鈴谷」です。プラモデル屋さんで、こんな箱絵を見たら絶対欲しくなりますよね。毅八郎氏の箱絵には、戦闘の場面というのが、ほとんど無いのも特徴の1つだと思います。朝焼けだったらごめんなさい。


僕の大好きな巡洋艦「熊野」の原画です。


で、実際の箱がこれです。売店で買ってきました。プラモデルを買うなんて何十年ぶりかです。当たり前のことですけど、「あ、絵が同じだ」って思いました。この箱も捨てられそうにありません。
 主砲が15.5cm3連装砲ですから、重巡洋艦に改装される前の型がプラモデルになっています。この型の巡洋艦は、後に主砲が20.3cm連装砲塔に換装され、重巡洋艦になりますが、15.5cm3連装砲は、かなり使い勝手の良い大砲だったようで、交換される際、砲術士達は、名残惜しがったと云います。撤去された主砲は、「大和」や「武蔵」の副砲として転用されたそうです。


次は、航空母艦です。たぶん「蒼龍」だと思います。先ほど、艦名を全て当てられると云ってしまいましたが、自信がなくなってきました。



艦橋の形からすると、「隼鷹」のようです。同型艦の「飛鷹」かもしれませんけど、「飛鷹」はウォーターラインのラインナップには無いようですから、「隼鷹」だと思います。今頃、何でこんな推理をしているかと云いますと、写真を撮ることばかり一生懸命で、艦名が書いてある札をほとんど見てこなかったからです。
 アメリカの航空母艦みたいなデザインですね。子どもの頃の僕は、空母では正規空母の「翔鶴」「瑞鶴」が好きでした。「隼鷹」は改装空母で地味なイメージだったので、あまり注目してませんでしたが、改めて見るとなかなか格好いいです。プラモデルが欲しくなりました。


駆逐艦です。艦名を推理するのは、あきらめました。会場で出会った女の子なら、きっと言い当てられると思います。


駆逐艦「雪風」です。これは、絵のタイトルをちゃんと見ましたから間違いありません。二番砲塔が機銃座に改装されているので、戦争後期の姿のようです。「雪風」については、以前、記事にさせていただきました。軍艦は、残された資料や写真を見ればある程度正確に描けると思いますが、駆逐艦が進むときの波形などは、余程の確信がなければここまでダイナミックには描けません。「これ、ありえないでしょう」なんて云おうものなら、怒鳴られるでしょうね。本物が海原を進んでいるところを見たという毅八郎でなければ描けない作品だと思います。

 この他にも、戦艦の他にドイツ海軍、アメリカ海軍などの外国の艦艇の絵もたくさんありました。

  上田毅八郎氏は、従軍していた3年8ヶ月の間、赤道近くの南国の海から、極寒の北太平洋まで転戦しました。毅八郎氏は、海戦となった様々な海の色を覚えていて、描き分けることができたそうです。
 乗船した輸送船は26隻。撃沈されること6回。6回目の撃沈の時、右腕に大怪我をして利き腕の自由を失います。ですから、ここに展示されている絵は全て、利き手では無い左手で描かれたものです。戦争で片腕を失うというと、漫画家の「水木しげる」氏を思い浮かべますが、6回も海に投げ出されて、生きて帰ってきたというのは、奇跡としか云いようがありません。


 毅八郎氏は、輸送船の絵を何枚も描いたそうです。残された写真や資料もほとんど無いなかで、毅八郎氏は、戦地でこっそり描いたスケッチと自らの記憶をもとに、失った多くの戦友を想いながら、輸送船の絵を描き続けたそうです。

 上田毅八郎氏がプラモデルの箱絵を描くようになった経緯については、次回ということで。
 今日は、ここまでにさせていただきます。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

上から二つ目の空母は信濃ですね

さんのコメント...

コメントありがとうございます。
仰る通り、信濃のようですね。大きな船体でわかりました。

さんのコメント...
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