2020年9月28日月曜日

黒島結菜「時をかける少女2016」 その1 ~3つの「時をかける少女」~

 TVerとHuluで配信が始まった「時をかける少女2016」。日テレ「土9」ドラマという伝統の枠にもかかわらず、最低視聴率4.6%という大爆死。「時かけ2016」は、若き主演女優「黒島結菜」の黒歴史となった。しかし、世間的に無名な若手俳優たちによる青春ドラマで、平均視聴率6.5%というのは大健闘とも云えるし、大量のディスりもネット特有の弱い者虐めの感がある。「時をかける少女2016」とは、そして「時をかける少女」とは、何だったのだろう。

3つの「時をかける少女」

「時をかける少女」は、筒井康隆氏のミドルティーン向けの正統派SF小説で、ライトノベルの元祖だそうだ。書かれたのは1967年となっているから、もう53年も前の作品になる。

 1972年に「タイムトラベラー」の題名でNHKがテレビドラマ化して以降、1983年に原田知世ちゃん主演で公開された実写映画、2006年公開のアニメ映画など映像化だけで9回、舞台等を含めるとその作品数は数え切れない。

どの作品をリアタイしていたかで世代分けができるそうだが、若い世代だと、アニメ版が最初って人も多いかと思う。「細田守」監督の出世作でもある、アニメ映画「時をかける少女」は、原作から20年後の世界となっていて、芳山和子の姪っ子を主役として、東京の下町が物語の舞台になっているそうだ。そうだ、と云うのは、僕は、アニメ版がテレビ放送された時に、ちゃんと録画していたのにもかかわらず、何を思ったのか消去してしまったからだ。聞くところによると、主人公の女の子は、かなりアクティブに描かれているらしい。


映像化で最も成功したのが、1983年の大林宣彦監督、原田知世さん主演の実写映画である。尾道を物語の舞台にした作品で、主役の「芳山和子」は知世ちゃんの実年齢(当時15歳)よりも年上の高校二年生という設定だった。

その時の知世ちゃんは、ホントにド素人っぽかった。長崎から純朴な女の子を連れてきて、いきなりカメラの前に立たせて演技させたって感じだった。ところが、不思議と嫌悪感を抱かせること無く、見ているこっちがハラハラさせられながらも、守ってあげたくなった。今も行われている、未熟なタレントをファンが応援するという売り方である。それを可能にしたのは、彼女の、あざとさを感じさせない清廉な可愛らしさだったと思う。その知世ちゃんも52才。透明感を保ち続け、今も活躍しているのは、キセキとしか云いようが無い。


その角川映画に先立つこと11年前のこと。NHKが少年少女向けに「タイムトラベラー」というタイトル名で、この原作をドラマ化していたのである。。30分番組の全6話という構成。主役の「芳山和子」を演じていたのが「島田淳子」さんで、設定は中学三年生だった。かなりの人気ドラマだったので、オリジナルストーリーの続編も制作された。子どもだった僕は、主演の女の子に淡い想いを抱きながら楽しみに見ていたが、ミステリー的な要素もあって、何となく暗ーい雰囲気のあったドラマだった記憶がある。
ラベンダーなんて花の名前、聞いたこともなかったので、母親に質問したのだが、教えてもらった記憶がない。


「タイムトラベラー」は、今でも再放送のリクエストがあるらしいが、NHKにも映像が無く、幻のテレビドラマと呼ばれていた。当時は放送用のビデオテープが高価だったため、番組を収録したマスターテープは、放送が終わると別番組のために再利用されしまい、映像がNHKにも残っていなかったからだ。

ところが、1999年、和歌山県で最終回を録画したテープが発見される。電気屋の息子が、売り物のデッキを使って録画していたのだ。最終回だけが残っていたのは、1本のテープで重ね録画していたため。家庭用のビデオデッキが、当時の価格で三十数万円、60分録画用のテープが1本1万円もした時代の話である。提供された映像は、NHKで復元修理され、別で保存されていた録音音声と合わせて、DVDが販売されたらしい。


そして、2016年、「時をかける少女」は、日本テレビの新土曜ドラマとしてリメイクされる。

このドラマは、静岡県の沼津市と下田市をメインのロケ地にして撮影された。伊豆半島の付け根にあたる沼津市の内浦地区や、伊豆の南端にある下田市街や海岸は、たくさんのCMやMV、映画やドラマのロケ地として使われている。

「時かけ2016」での重要なロケ地は「旧静浦中学校」の奥駿河湾が見える屋上である。この絶景を前にして、フェンスの無い屋上に生徒が自由に出られるなんて有り得ない、なんてツッコミは野暮であろう。他にも、狩野川を渡る永代橋とか、今はなくなってしまった市役所前の立体駐車場とか、シャッター通りとなっているアーケード街とか、見慣れた街や風景が出てくると嬉しい。

2016年の夏はリオデジャネイロ・オリンピックが開催されたこともあって、ドラマは全5話という短構成になった。しかし、原作は長編小説ではないから、それまでの映像化作品は、映画やSPドラマが中心で、連ドラであるNHKの「タイムトラベラー」でも、30分×6話の3時間にすぎない。つまり「時かけ2016」は、土曜ドラマとしては短いのかもしれないが、「時かけ」シリーズとしては異例の長さなのである。そのため、原作には無いエピソードが挿入されることになり、このことが原作のファンから批判を浴びる要因の1つともなった。

人物設定も変更された。1つは登場人物の名前で、今時っぽい名前に変更されている。「菊池風磨」君演じる未来人ケン・ソゴルは「深町一夫」から「深町翔平」へ。「黒島結菜」さん演じるヒロイン「芳山和子」は「芳山未羽」となった。「竹内涼真」君が演じる幼なじみの「堀川吾朗」は「浅倉吾朗」である。これは、原作では「浅倉」だったのを、大林監督が「堀川」に変えたそうで、それを元に戻したってことになる。吾朗ちゃんは、今も昔もアリな名前ってことなのだろう。

もう1つは、設定年代である。原作では、ケン・ソゴルは、2660年、つまり700年後の未来からやってきたことになっているが、「時かけ2016」では、2122年となった。しかし、これは無いだろう。いくら社会の変化が激しいとは云っても、わずか100年後にタイムリープの薬が発明されるとは思えない。2122年の未来では、大変動が起こって夏のない世界になってるらしいが、それにしては立ち直りが早すぎる。人々は、遺伝子適正によって職業や婚姻を決定させられているともあった。だいたい、100年程度前のことならば、わざわざタイムリープして調査に来なくたって分かるだろう。ここは原作どおりで良かったのではないか。この点については、ディスってる奴らの意見を支持せざるを得ない。

「時かけ」の主要登場人物は、主役の芳山、未来人の深町、そして幼馴染みの吾朗である。3人は、いわゆる三角関係にあるが、2016では、それがさらに強調されているように思う。芳山が深町に恋心を抱くのは全作の共通であるが、他と大きく異なっているのは、幼馴染みの吾朗が芳山に告白しようとするところである。さらに、他の作品の深町は、違う世界の人を好きになってはいけないという鉄則を心得えているから、自分から告白しようなんてアホなことは考えないが、2016の深町は、肉食男子入門なんて指南書を読んだりして、キス、キスとうるさい。

タイムトラベラーの芳山は、中学3年生という設定であったので、その恋愛感情はプラトニックなものであったし、吾朗の感情も幼友達以上のものではなかった。角川映画もそれに近かったように思う。深町が未来に戻った後も、芳山と吾朗は恋人関係にはならなかったはずだ。

一方、2016は高校3年生の夏という設定である。高3といえば、できたカップルが、そのまま結婚に至ることだって普通にある。だから、吾朗の告白を「困ったこと」と云い、ずっと幼馴染みのままでいたいなどと云う芳山の発言は、彼を恋愛対象とすることが生理的に無理と云っているに等しい。僕らは、あの誠実で格好良い竹内凉眞君の告白を受け入れないなんて有り得ないと思ってしまうが、それはリアルな話であって、ドラマの世界は別なのである。


さて、芳山は元ボート部員で、腰を痛めてからは写真部に転部したという設定になっている。写真部の彼女が振り回しているのが、名機Nikon F3である。しかも彼女は普段使いのカメラとして、リアルでもF3を所有しているらしい。黒島さんは、当時、日大芸術学部写真学科の学生であったから、F3を持っていても、まあ不思議はない。

それにしても、F3とは、渋いし凄い。僕が山登りを始めたときに初めて買った一眼レフは、キャノンのAL-1だった。F3ってのは、セミプロ以上の人が使うもので、一般人が持ってはイケないカメラだった。当然のことながら、F3はフィルムカメラだし、オートフォーカスでもない。そんなカメラを18才の女の子が持っているのだがら、可愛・格好良いこと此上無い。

このカメラが発売されていた頃って、彼女は、まだ産まれて無いはずだ。昔の機械式の高級カメラは造りがしっかりしていたし、使っている人も大事にしてメンテナンスも怠ることがなかっただろうから、中古でもちゃんと使えるのだろう。

ただ、テレビに出てくるF3は、私物のF3とは違うという話がある。彼女のF3は50mの標準レンズを付けていることが多いのだが、ドラマのF3のはズームレンズに見えるし、ファインダーの形状も異なっているらしい。となると、ドラマのF3は撮影用の小道具である可能性が高いが、それでも同じF3を使うというのは面白い話である。

しかし、何故、日テレは、世間的に無名な3人の俳優に、ゴールデン枠のドラマを任せたのだろう。視聴率は、初回こそ9.4%だったが、第2話では6.6%。「FNS27時間テレビ」が裏で放送された第3話は4.6%と、ボーダーラインとされる5%を割り込んでしまった。その後は、第4話5.1%、最終話6.6%と若干持ち直し、平均視聴率6.5%とある。大爆死と云われたが、出演者を考えれば、よく6.5%も取ったとも云える。

翌年、黒島結菜さんは、NHK時代劇「アシガール」に出演した。NHKが彼女に主演をオファーしたのは、このドラマを担当ディレクターが見ていたことがきっかけだったと云う。竹内涼真くんは、次作の「過保護のカホコ」でブレイクし、菊池風磨くんは、続く「嘘の戦争」で詐欺師の役を好演した。彼らは、この時のチャンスは活かせなかったかもしれないが、確実に次へとつなげていたのである。

「時をかける少女2016」は、原作からの設定をいじりすぎている感がある。だから、旧作のファンたちの、これは「時をかける少女」ではないという批判も理解できる。でも、この作品を1本の青春ドラマと見れば、十分に評価されるべきものではないだろうか。


思いの外、長くなってしまったので、各放送回の感想は、またの機会に。

お終いは、エンディング・テーマ「恋を知らない君へ」で如何であろうか。

いろいろあった手越だが、歌は上手い。

2020年9月26日土曜日

「黒島結菜」出演 FMシアター「オールに願いを」

聞き逃し配信はこちら、ただし、放送後一週間で終了。つまり今日まで。

     FMシアター「オールに願いを」

2020年9月26日(土)22:50配信終了

番組紹介です。

「何事にも諦めがちの女子高生「若葉」は、母の再婚相手の「雄吾」のせいで長崎の夏の風物詩女子ペーロン競漕に参加することに。本当の自分、そして家族とは・・・」

学生時代は、テレビも新聞も無い生活をしていたから、ラジオが唯一の情報源だった。今でも、テレビをつけてる時以外は、部屋にはコミニティFMが流れている。だから、ラジオと無縁の生活ってことでもないのだが、黒島結菜さんが出演するのでなければ、ラジオドラマを聴くことなんてなかったと思う。

FMシアターは、毎週末の夜にNHKFMで放送されているラジオドラマだ。過去の放送記録を見ると、なかなかの俳優さんが出演されていて、さすがNHKって感じである。

9月19日に放送された「オールに願いを」は、NHK長崎放送局の制作とあった。なぜ、沖縄出身で東京在住の彼女が、このドラマの主役を務めるようになったのか分からない。長崎弁っぽい台詞もあったが、彼女がちゃんと言えてたかどうか、僕には知る由もない。

黒島さんは、17才の女子高生の役だった。最近は、随分大人っぽくなった彼女だが、声だけを聴くと「時かけ2016」の頃と何も変わらない、相変わらずの黒島結菜さんだった。共演の「波岡一喜」さんは、ベテランの個性派俳優さんで、今までもドラマや映画とかで何回も出会っているはずであるが・・・まあ、映像を見れば思い出せると思う。

で、ドラマが始まって直ぐ、なんとなくの違和感というか、既聴感を感じた。・・・ジブリ映画?「となりのトトロ」の糸井重里氏のような、「ハウルの動く城」のキムタク氏のような・・・。ジブリ映画がプロの声優をワザと使わないのは有名な話だ。そのために、何となくの浮き上がり感があるのだが、それと同じような雰囲気を感じたのだ。

語りが女優のテンションだからだろうか。声だけで演じるラジオドラマは、声優としての仕事に近い。声だけで全てを伝えるプロの声優だったら、やり過ぎなくらいメリハリをつけてくるように思う。

それにしても、聴けば聞くほど黒島結菜である。しかし、考えてみれば「若葉」ちゃんの役として、黒島さんがキャスティングされたのであるから、誰が演じているのか分からないよりも、ずっと良いことである。そりゃあ、プロの声優さんみたいに、個性を保ちながらも、役柄に合わせて声色を変えられるのがベストだけど、共立できなければ、大切にすべきは女優としての個性の方だ。黒島結菜を期待している者たちからすれば、何をやっても黒島結菜というのは、賞賛ではないにしても、決してディスってるわけではない。

お話の内容は番組紹介の通りであるし、結末は予想通りだった。悪人が一人も登場しない、これぞNHK的な良い話である。長崎にペーロン競漕という行事があるのは知っていたけど、地域毎にチームを作って、女性も参戦していることは知らなかった。


小さなドキドキと、ささやかな感動、そして、ちょびっとのユーモア。警察・医療・企業ものが多い民放の人気ドラマと比べれば、インパクトも面白さも何十分の1の地味な物語である。ただ、聴き終えた後には、何とも云えない心地よさがあった。

黒島さんって、こんな仕事が多いように思う。まあ、ファンからすれば、松永三津みたいな役にチャレンジして炎上するよりずっと安心してられるし、主演だから、放送の50分間ほぼ出ずっぱりなのも嬉しい。民放の大型ドラマにちょい役で出るのも良いけど、こんな仕事の仕方も悪くないと思った次第である。

FMシアターのドラマは、何かで受賞したり、高評価を得たりすると再放送されるらしいが、「オールに願いを」は、そういう雰囲気は無さそうだから、これでお終いになるんだろう。昭和だったら、ラジカセで簡単に録音できたんだけど、ネット配信では、そうもいかない。

「オールに願いを」は、手仕事をしながら聞き流すには、ぴったりのラジオドラマだった。週末の夜、ウォーターラインのプラモデルを組み立てながら、黒島結菜主演のラジオドラマを聴く。なんとも優雅なひとときではないか。

2020年9月20日日曜日

「風の谷のナウシカ」~抹殺された主題歌~

ブログを始めてから5年半が経ちました。投稿記事もこれで567本目(コンセプトがブレブレで申し訳ありません)です。で、その記念すべき(?)最初の投稿記事は「風の谷のナウシカ」だったんですけど、先日、ドクター・キャピタル(Dr. Capital)の解説動画を見つけて懐かしく思ったものですから、再掲させていただくことにしました。

まずは、ドクターの楽曲解説から。後半で披露されるドクター自らの歌唱は、お好み次第で。

ドクターは、この楽曲をアニソンと云ってます。確かに「風の谷のナウシカ」というアニメ映画はありますが、この楽曲は、アニメの劇中にもエンディングにも使われてないし、その後発売されたサウンドトラックにも収録されていないんですよね。

以下は、5年前の記事の再掲載です。

安田成美さんのデビュー曲「風の谷のナウシカ」。アニメ映画「風の谷のナウシカ」は知っていても、この歌は知らない人も多いのではないでしょうか。松本隆、細野晴臣という当時の最強コンビの作品ながら、安田さんのあまりの歌の下手さに宮崎駿氏が激怒。映画には絶対関わらせない条件で、落ち着いたのがイメージソングという扱い。上映前の館内では流れていましたが、劇中に使われるわけでもなく、サントラにも未収録。その後、映画がどんなにヒットしても、ジブリが世界的ブランドになっても、この歌が世間に広まることはありませんでした。安田さんもその後は女優業に専念するようになり、二度と歌うことはありませんでした。

あれから30年、初音ミクが歌うナウシカを聴いた僕は、衝撃を受けました。テクノポップとボーカロイドの相性が良いのは当然のこととしても、細野晴臣氏が、初音ミクの登場を予測して作ったのではないかと思うほど似合っていて、僕の抱いていたナウシカのイメージを初音ミクが見事に再現しているのです。

電車の吊り広告を見て、何の予備知識もなく入った裏通りの映画館。どんな作品だろうと待っていたときに館内に流れていたこの曲。映画では描かれることのなかった、16歳の女の子のナウシカを表現したこの曲。宮崎駿氏が排除しようとした、16歳の可愛い女の子のイメージ・・・。

ああ、今頃わかりましたよ。宮崎先生が激怒したのは、安田成美の歌唱力なんかじゃなく、ナウシカにアイドル性を持たせようとしたこの曲そのものだったってことが。

 

ところが予告編では、安田成美さんの歌を使っていたんですね。ちゃんと「主題歌」って出ているし。だとすると、宮崎先生が激怒したのは、この後、土壇場になってからってことになります。

宮崎駿氏の思考って、凡人には付いていけないところがあります。僕、原作のコミックも持っていたんですけど、最後の方なんて、自分で作った世界観を、自分でぶち壊してしまいましたから・・・ドンデン返しを通り越して、もはや、ちゃぶ台返しです。

宮崎氏が激怒した理由については、安田成美さんの歌唱があまりにもあんまりだったってのが、当時の僕らの認識でしたけど、駿氏は、楽曲がアニメ作品のイメージと合っていないと仰ってたそうです。ナウシカは、ただの可愛い女の子では無いとも。

でも、コミックやアニメに描かれているナウシカは、可愛くって、優しくって、格好良くって、アニメオタクが憧れる王道のキャラクター設定なわけです。初恋の相手がナウシカだってヲタクも結構多かった。自分で可愛く描いておいて、アイドル扱いにしたからNGっていうのも可笑しな話。ちゃぶ台返し、ここに極まれりです。

松本隆、細野晴臣という名コンビに楽曲を作ってもらって、安田成美さんをオーデションで発掘して、コミックも映画も楽曲もタレントも、総合的に売りまくるという、当時流行っていた「角川商法」をやろうとした徳間書店に対して、自身のアニメ作品がアイドルの売り込みに利用されるのがイヤだったのでしょうか。

そんなこと云っても、大金を投じてCMとかも打っちゃってるわけです。当時の宮崎氏は「ルパン三世:カリオストロの城」の興行失敗で、かなりピンチな情況でした。「ナウシカ」のアニメージュへの掲載に関しても徳間書店さんから施されていたはず。ですから、やるべきことは恩返しであって、ちゃぶ台返しではなかったはずです。

でも、こういったマウントの取り合いってのは、大人げない方が勝ちますからね。結局、楽曲は(主題歌だったのに)アニメから排除されてしまいました。

(普通は、これだけ楯突けば「次からは仕事なんて無えぞ」って倍返しされるはずなんですけど、この後にスタジオジブリを立ち上げて、ボス猿になっちゃうんですから、ホントに凄い方だと思います。)

そういうことで、抹殺される運命にあった楽曲「風の谷のナウシカ」ですが、デキの良さで辛うじて生き残り、ドクターの目にもとまったというわけです。

YouTubeには、歌自慢の方々の、歌ってみた動画が数多く投稿されています。でも、この曲って、感情込めて上手に歌えば歌うほど、違和感が出てきちゃうんですよね。安田成美さんの歌に慣らされちゃったってこともあるかもしれませんけど、淡々と歌ったほうが、テクノポップには合ってるんじゃないかって思います。

感情を抑えて、でも、安田さんより安心して聴ける歌唱となると・・・これはもうボーカロイドの出番ですよね。


いかがでしょうか、ボカロカバーで大事なのって、伴奏だと思います。良い打ち込み伴奏ができれば、ボカロカバーは8割方成功。この作品は、ドクターの講義にあった「マイナー/メジャーのモード変更とクロマチック・メディアント進行」が、上手く再現できていると思います・・・かな?

アニメ映画「風の谷のナウシカ」も、「風の谷のナウシカ」という楽曲も、両方大好きな僕としては、この2つがコラボできなかったというのは、大変残念なことだったんですけど、互いが互いを必要とせずに生き残ってこれたというのは、それはそれで嬉しいことではあります。

では、参考までに、安田成美さんの「ザ・ベストテン」での伝説のテイクを、貼り付けさせていただいて、お終いにします。こちらの視聴は自己責任で。

2020年9月6日日曜日

黒島結菜「よっちゃん」と沖縄戦 ~NHK戦後75年特集「戦争童画集」より~

毎年、夏になると放送されるNHKの戦争関連ドラマ。昨年はフィリピンが舞台の「マンゴーの樹の下で」だったが、大がかりなロケが出来ないコロナ禍の今年は、2つの朗読劇と2つのミニドラマで構成されたオムニバス形式となった。

番組評では「長澤まさみ」さんの朗読劇が絶賛されていた。で、黒島結菜さんも、沖縄の(名前は知らないけど)若い女優さんのドラマも良かったと(ついでに)褒めていただいたのは、嬉しい限りである。

黒島さんの世間での知名度は、まだまだだなぁ~と思いつつも、純粋に演技で認められたというのは、それはそれで良かったと思う。で、これを機会に名前を覚えてもらって・・・とは簡単にいかないようだ。まあ、そんな感じで何年も過ぎてるように思う。

現代劇には「橋本環奈」さんも出演されていた。「家族全員で見られる平和の物語」ということでの出演だったのだろう。でも、僕的には、その枠で戦争の劇をもう1つやって欲しかった。彼女のファンだって、現代劇のいつもの環奈ちゃんでなく、戦争の劇を演じる環奈さんを見たかったんじゃないかなって思う。

「よっちゃん」は、「ひめゆり学徒として戦場に向かった二人の女性の苛酷な戦いと友情の物語」とある。この作品だけが野外ロケなので違和感があるが、沖縄戦で使用されたガマを使って撮影したらしい。わずか10分ほどのミニドラマに、これだけの労力をかけられるのは、さすがNHKである。

主演の「黒島結菜」さんは、沖縄の糸満出身で、ひめゆりの塔から車で10分くらいのところに実家があるそうだから、ひめゆり学徒隊員を演じるにあたっては、特別の思いがあったに違いない。


ひめゆり学徒隊については改めて語るまでもないだろうが、少しだけ。

僕が子どもの頃は、ひめゆり部隊って言ってた記憶がある。ひめゆり部隊を取り上げた読み物には、米兵に捕らえられることを恐れて集団自決した場面を描いているものが多いので、ひめゆり部隊=集団自決で全滅みたいな印象があったのだが、それは正しい認識では無い。学徒隊240人のうち、亡くなったのは136人。集団自決があったことは確かだが、多くは米軍の無差別攻撃によって命を落としたとされている。っていうか、混乱の中で証言できる者も少なく、命を落とした多くの隊員が何処でどのようにして亡くなったのか分からない、というのが正確なところなのである。

高等女学校の学徒隊は全部で9つ組織されたらしい。その中で、一番大きくて、もっとも有名なのが「ひめゆり学徒看護隊」だ。沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒222名と引率教師18名の240名で構成されていた学徒隊である。

彼女たちを動員する法的な根拠は、当時の日本にも無かった。だから、参加はあくまでも自由で、親の承諾書が必要だったらしい。参加の強制の程度も(校長の考え方によって)学校ごとに微妙に異なっていたそうだが、そんな中で、多くの女学生が親の猛反対を押し切って参加したのである。

師範学校では半強制だったそうだが、島袋さんの証言では、林間学校に行くような気軽な気持ちで、国のためになるのが嬉しかったとあった。歴史教科書では、強制的かどうかがよく議論になるが、思想教育による希望制と言うのは、強制より遥かに罪深い。

ひめゆり学徒は、沖縄守備軍(第32軍)が直轄する沖縄陸軍病院に配属される。実は、彼女たちは、軍属あつかいになるのだそうだ。戦争資料に、沖縄の守備兵力118,400名とあるが、この数字には、彼女たち学徒隊や、現地招集した年寄りや子どもたちで組織された防衛隊も含まれていて、正式に軍隊(ちゃんと武器を持ち訓練されている)と云えるのは、その半数ほど。これで、アメリカ陸軍 第7歩兵師団とか、海兵隊第1師団とかの正規軍と戦えというのだから、酷い話である。


ドラマの題名である「よっちゃん」は、「ひめゆり平和祈念資料館」の元館長「島袋淑子」さんの愛称であり、脚本は島袋さんの手記を元に書かれている。島袋さんは、当時、師範学校の3年生で17才だったそうだ。


アメリカ軍が沖縄本島に上陸したのは4月1日。投入された陸戦兵力は、初日だけで182,000名とあったから、あの有名なノルマンディー上陸作戦の規模を上回る。それに対して、沖縄防衛を担う第32軍は、米軍を島内に誘い込み持久戦を仕掛けた。日本軍もノルマンディーのドイツ軍のように水際で派手にドンパチやりたかったようだが、あまりの戦力差に変更せざるを得なかったのだ。

米軍の上陸兵力は正規軍の比率で日本軍の3倍。これに艦砲射撃や航空機攻撃で支援する海軍を含めると、戦力比は5倍以上になる。沖縄本島の攻略を一ヶ月と見積もっていた米軍であったが、日本軍は隆起珊瑚礁に陣地を構築して激しく抵抗し、最初の一ヶ月間は、ほぼ互角の戦いとなった。

しかし、5月4日・5日に敢行された日本軍の総攻撃が失敗に終わると、戦局は一気に米軍の優勢となり、第32軍は5月27日に首里の司令部を放棄し本島南部へ撤退する。そして、この撤退が沖縄戦のさらなる悲劇の原因となるのである。


物語は、黒島さん演じる「よっちゃん」と芋生悠さん演じる「大城さん」が、病院壕に派遣されたところから始まるが、これは32軍が南部に撤退した頃にあたる。

当時の高等女学校や師範学校は、学年によって髪型が指定されていたそうで、それによると、三つ編みのよっちゃんの方が、二つ分けの大城さんよりも上級生ということになるが、大城さんの方が落ち着いているので先輩に見えてしまう。まあ、これは時代考証がどうと云うよりも、二人の女優さんの髪の長さによるものだろう。


で、いきなり黒島さんがカメラ目線で語り出したので、焦ってしまった。どうやら、ドラマというよりも朗読劇に近い演出のようだ。と思ったのだが、ナレーターになって語ったりもする。だったら、ナレーションに統一してくれた方が、感情移入しやすかったように思う。

ドラマには、よっちゃんと大城さんと軍医しか出てこないし、傷病兵はソーシャルディスタンスを保って寝かされているから、どことなくのんびりした雰囲気だが、実際の壕は、もっと大規模で、大勢の負傷兵や看護者が、劣悪な環境で密になっていたはずだ。


沖縄戦で、命を落とした一般住民は94,000人。沖縄戦が始まったとき、主戦場は本島の中部であり、住民たちの多くは島の南部に避難していた。32軍には、首里の司令部に最後まで踏みとどまって戦い抜くという選択肢もあったし、司令部が陥落した時点で降伏していれば、これだけの悲劇にはならなかっただろう。
32軍が南部に撤退したことによって、軍と民は混在してしまった。鬼畜米英と教えられ、米軍の保護下に入ることを恐れた多くの住民が、軍と行動を共にして南部に移動したとも云われている。首里陥落以降の住民の死者は、46,000人以上と推定されている。

日本軍にも、住民を(既にアメリカの占領下にあった)北部へ移動させる計画があったらしい。また、米軍も住民を避難させるために一時休戦を提案しようとした形跡があるようだが、いずれも実現することはなかった。

すでに、地上戦はゲリラ戦の様相を呈していた。男子学徒は少年兵として徴用されていたし、住民に爆雷を持たせて突入させたり、住民の服を着て偽装した日本兵もいた。よっちゃんだって、自決用ではあるけれど、手榴弾を持っていた。手榴弾を2個渡されて、1つで米兵を殺し、もう1つで自決しろと指示されたという学徒の証言もある。もはや、軍と民の判別など不可能になっていたのだ。
圧倒的に優勢な米軍でも、戦死者は12,000人を越え、精神疾患に陥る兵士も続出していた。殺らなければ殺られるという恐怖と、戦友を失った憎悪心から、動くものは全て攻撃の対象となってしまったのである。


よっちゃんがいる伊原第一外科壕の入口に大きな爆弾が落とされたのが、6月17日。お腹をやられて水を欲しがる大城さんにガーゼに浸した水をあげるシーン、(証言では水をあげたのは別の先輩)大城さんが「天皇陛下万歳」と呟いて亡くなる場面は、思い出すたびに憤りを感じる。

翌18日、ひめゆり学徒隊に解散命令が出される。壕から追い出された学徒たちは、降り注ぐ砲弾の中を逃げ惑い、多くの犠牲者を出した。ひめゆり学徒隊の戦死者136名のうち、解散後に戦死したのは117名と、全体の8割を超えている。ただ、第三外科壕では、19日にガス弾などの攻撃を受け、壕の中にいた学徒46名のうち42名が犠牲になっているから、壕に留まっていれば安全だったというわけでは全然無い。


砲弾の破片で足を負傷し、もう逃げられないと考えたよっちゃんは、手榴弾で自決しようとする。安全ピンを口でくわえて引き抜くよっちゃん。(女優、黒島結菜の最大の見せ場だ)ところが、爆発する寸前に怖くなって手榴弾を投げ捨ててしまう。
生きると云うことの意味を考えさせられる場面である。爆雷を抱えて米戦車に体当たりした少年兵だって、足手まといになるからと青酸カリを飲んだ傷病兵だって、みんな本当は生きたかったはずだ。

6月26日、よっちゃんは米軍の捕虜となった。第32軍の司令官牛島中将は、この時すでに自決していた。日本軍の組織的な戦闘は、三日も前に終了していたのだ。


沖縄慰霊の日が6月23日なのは、牛島指令官が自決した日だからである。他に適当な日が無かったっていうのが、本当のところらしい。ところが、牛島司令官は自決前に各部隊に徹底抗戦を指示していた。そのため、23日以降も軍人や住民に多くの犠牲者が出ることになった。よっちゃんにとっても、沖縄戦は少なくとも26日までは続いていたのだ。23日に沖縄戦は終結なんてしてなかったし、そもそも軍人が自決した日を「慰霊の日」とすることに疑問を投げ掛ける人は多い。

降伏という選択肢の無い軍隊ほど惨めなものは無いし、そのような軍隊を持った国民ほど悲惨なものは無い。太平洋戦史を読むたびに、必ず行き着く結論である。