知人が癌で亡くなりました。
知人と云っても、知り合いの知り合いといった感じで、
彼と直接会ったことはありませんし、話をしたこともありません。
共通の知り合いを通し、同じ抗がん剤を使って治療をしていた者として、
互いの存在を知るといった仲でした。
彼が癌を患っていることが判明した時、癌は進行していたそうです。
希少がんであったことが、発見が遅れた理由でした。
手術には成功したものの、まもなく転移が見つかり、
末期がんの診断を受け、抗がん剤治療が始まりました。
治療によって、症状は落ち着いてきたかに思えました。
僕が彼のことを知ったのは、そんな時でした。
その頃の僕は、手術後の抗がん剤治療が終了して、半年ほど経ったときでした。
彼が僕と同じ薬剤を使っていたこともあって、会ったこともない彼に妙な親近感を持ちました。
末期がんの宣告を受けた後、彼は、がん関連のサークル活動に精力的に参加していました。
社交的な性格で人を惹き付ける魅力のあった彼は、常に活動の中心にいたと云います。
10年先の未来を描くことはできないけれど、今、君と語り合えることを幸せとしよう。
やりたいことは、全部やると宣言して、国内ばかりでなく海外にまで旅行へ出かけたりしました。
歩くことがままならないほどに病状が進んでも、大好きなアーティストのライブに参戦したそうです。
大人しくしてれば、あと数ヶ月くらいは長生きできたかもしれませんが、
そんな数ヶ月間には、何の意味も見いだせなかったのでしょう。
通夜の終わり、彼は、自らしたためておいた会葬御礼で、
己の人生を、そう悪いものでもなかったと総括しました。
生きること以外のやりたいことは全部できたのだと総括して、彼は逝きました。
同じ死ぬなら癌が良いと言います。
最期の最後まで人間らしく生き、人としての尊厳を保ったまま死ねる癌死は、
人生の終え方としては、或る意味、理想的なものかもしれません。
彼の人生とその死は、とても真似できそうには無いけれど、
末期がん患者の生き様としては、あっぱれとしか言いようのない、正にお手本と言えるものでした。
通夜の後、僕は初めて彼と対面しました。
棺に寝かされた彼の顔は、にこやかに微笑む遺影とは別人の、癌との激しい闘病を物語っていました。
理想的な人生の終え方をした彼の、現実の姿でした。
僕は、思わず声を上げそうになり、そして、必死に手を合わせました。
思えば、それは、彼の冥福を願う祈りではなく、
癌死という現実を目の当たりにし、恐怖に駆られた自分を守るための祈りだったのかもしれません。
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