2020年1月19日日曜日

或る知人の話

知人が癌で亡くなりました。
知人と云っても、知り合いの知り合いといった感じで、
彼と直接会ったことはありませんし、話をしたこともありません。
共通の知り合いを通し、同じ抗がん剤を使って治療をしていた者として、
互いの存在を知るといった仲でした。

彼が癌を患っていることが判明した時、癌は進行していたそうです。
希少がんであったことが、発見が遅れた理由でした。
手術には成功したものの、まもなく転移が見つかり、
末期がんの診断を受け、抗がん剤治療が始まりました。
治療によって、症状は落ち着いてきたかに思えました。

僕が彼のことを知ったのは、そんな時でした。
その頃の僕は、手術後の抗がん剤治療が終了して、半年ほど経ったときでした。
彼が僕と同じ薬剤を使っていたこともあって、会ったこともない彼に妙な親近感を持ちました。

末期がんの宣告を受けた後、彼は、がん関連のサークル活動に精力的に参加していました。
社交的な性格で人を惹き付ける魅力のあった彼は、常に活動の中心にいたと云います。

10年先の未来を描くことはできないけれど、今、君と語り合えることを幸せとしよう。

やりたいことは、全部やると宣言して、国内ばかりでなく海外にまで旅行へ出かけたりしました。
歩くことがままならないほどに病状が進んでも、大好きなアーティストのライブに参戦したそうです。
大人しくしてれば、あと数ヶ月くらいは長生きできたかもしれませんが、
そんな数ヶ月間には、何の意味も見いだせなかったのでしょう。

通夜の終わり、彼は、自らしたためておいた会葬御礼で、
己の人生を、そう悪いものでもなかったと総括しました。
生きること以外のやりたいことは全部できたのだと総括して、彼は逝きました。

同じ死ぬなら癌が良いと言います。
最期の最後まで人間らしく生き、人としての尊厳を保ったまま死ねる癌死は、
人生の終え方としては、或る意味、理想的なものかもしれません。
彼の人生とその死は、とても真似できそうには無いけれど、
末期がん患者の生き様としては、あっぱれとしか言いようのない、正にお手本と言えるものでした。

通夜の後、僕は初めて彼と対面しました。
棺に寝かされた彼の顔は、にこやかに微笑む遺影とは別人の、癌との激しい闘病を物語っていました。
理想的な人生の終え方をした彼の、現実の姿でした。

僕は、思わず声を上げそうになり、そして、必死に手を合わせました。

思えば、それは、彼の冥福を願う祈りではなく、
癌死という現実を目の当たりにし、恐怖に駆られた自分を守るための祈りだったのかもしれません。

0 件のコメント: