昨日は、鳴門子ども園の「にこにこまつり」でスペシャルライブだったそうです。
僕が昔住んでいたところの近くにも、同様の福祉施設がありました。いろいろな事情で、親と暮らせない子供たちです。正直なところ、子供は天使だとか云ってられないこともあるようですし、職員の定着率も悪いと聞きました。支援団体などがあって、園児たちとクリスマス会をしたり、ディズニーランドに行ったりと、様々な活動が行われていましたけど、鳴門子ども園さんのような地域開放型の学園祭は、ありませんでしたね。園の規模とかも関係あると思いますけど、鳴門子ども園の職員さんの努力とか、地域の方々とのつながりとかが、あってのことだと思います。
丸山純奈さんが、今回、このようなライブ活動を行うというのは、尊敬に値することに思います。
此手の活動は「慰問」と云われてましたけど、子供が子供を慰問するというのは斬新すぎですね。今までに無かった新しいタイプの活動だと思います。
そういえば、他所の中学校の文化祭でもライブしてましたけど、中学校の文化祭のゲストが、別の中学校の生徒というのも、これまた斬新なことでしたねw
同年代からの支持は、タレントとして最大の強みですけど、純奈さんに関しては、主催者世代からの支持も絶大なように思います。
今回のライブでは、秦基博さんの「ひまわりの約束」がセットリストに入っていました。
「ひまわりの約束」は、アーティストのライブでもよくカバーされてますし、YouTubeにも男女、プロ・アマたくさんの動画が公開されています。皆さん上手で素晴らしい。でも、手作りのステージで、こんな青空の下で歌っているテイクはありませんでしたよ。町内のカラオケ大会みたいですけど。
お似合いですよね。だって、向日葵なんですから。
聴いたところでは、声の調子もまずまずかと思いますけど、「ドラマ」のテイクを聴くと、いつもの力強さがなくって、自信の無さが出ていたように感じました。
またいつか、体調100%の時、こんな青空の下で「ひまわりの約束」を歌って欲しいです。
「ひまわりの約束」って、感動させやすい歌なんでカラオケバトルなどでもよく選曲されるんですけど、YouTubeの動画を視聴していて思ったことは、皆さん「私って歌うまいでしょオーラ」が出ているってことです。
でも、この歌って、やっぱり純粋であって欲しいし、純粋ってことは、健気であって欲しいし、何より謙虚であって欲しい。
最近、「元気をもらう」って言い方をすることが多いですよね。元気は、もらうモノではなくって、自分でつくりだすモノだと思うんですけど、まあ、歌を聴くことで、テンションが上がったのであれば、そういう言い方もアリかもしれません。だけど、歌う側は、「歌で元気をあげよう」なんて思って欲しく無いんです。
で、フルコーラスのテイクをということで、いろいろと考えたんですけど、ちょっと思いたって、スライドショーを作ってみました。
純奈さんの写真は「すだっちたいちゃん」さんのツイッターから、楽曲は、僕の大好きなボカロP「あにめちゃんねる」さんの作品になります。で、ひまわりの写真は、今年の夏に僕が撮ってきたんですよ。
コンピューターの歌唱で申し訳ないんですけど、カラオケバトルで、高得点を出すためのテクニックを駆使して歌っている人間よりも、ずっと純粋でマシだと思いますんでww。
シャボン玉と歌っている写真を見ていたら、なんだか泣きそうになりました。
シャボン玉は、バブルマシーンじゃなくって、学園児たちが飛ばしていたとのことでしたよ。
「そばにいたいよ 君のためにできることが 僕にあるかな」
歌で出来る事って、あげるとか、もらうとかじゃなくって、寄り添い合うことじゃないかなって・・・そんなことを考えながら聴いていました。
えっ、シャボン玉を飛ばしたのは、次の曲のときでしたっけ?
4 件のコメント:
僕の幼い頃にも家の近くに◯◯学園と呼ばれる施設がありました。
彼らはよくグループで散歩していて、彼らに対し何故か妙な対抗意識を持ってました。お袋から親と一緒に生活できない可哀想な子達だと聞き、それ以降は敵対意識を持つことは有りませんでしたが、今の時代では、可哀想な子供達と言う表現も充分に差別的なのかも知れません。
純奈さんの活動は素晴らしいですね。有名になっても続けていただきたいと本心から思います。
さて、先般のコメントにありました、
「僕は、どちらかと云うと、彼女は、歌うときには、ほとんど考えていないんじゃないか」とのご意見について考えてました。
これは積極的な評価であると思いますが、この趣旨は、僕の勝手な解釈では、作為的でないと同義なのではないでしょうか。
いや、作為的ではないと言うと、わざとらしくないとの意味合いのみになってしまうので、作為がほとんど感じられないと言った方が近いのでしょうか。
また、以前に書かれていた、「歌は、それ自体に、人を感動させる要素を内在し、歌うという行為は、それだけで、人の心に訴える力を持っている。」核心を射た言葉だと思います。
歌唱に対する通俗的な意味付けや、無理な解釈が色褪せて見えます。
無心に歌う、彼女の歌を言い表すのに相応しい言葉だとも思います。
ただ、それでも歌もまた表現である以上、彼女が表現者としてステージに立っていることに間違いはないでしょう。
表現とは、相手に何かを伝える行為だと思うのですが、そうであれば、彼女は確実に伝えるべき何かを持っており、優れて伝えるべき術を知っているのだと思わざるを得ないのです。
あれ、どうも先走ったようです。そんな事最初から言ってないといわれそうです。スミマセン。
スライドショー素敵ですね。ボーカロイドに全く無知なもので何のコメントも出来ません。でも、確かにカラオケバトルで、高得点を出すために歌っている方々より、ずっと純粋でマシだと僕も思います。
それから、何処のひまわり畑でしょうか❓新潟の津南で見たひまわり畑を思い出して懐かしい気持ちになりました。
コメントありがとうございます。自分で書いておきながら、ツッコまれてしまうと、タジタジになってしまいます。
えっと、ひまわり畑は、山梨県の明野です。
観光バスがバンバン入ってくるような観光地で、誰がいつ行ってもそれなりの写真が撮れるところです。飛行機雲はラッキーでしたけど、バックにある南アルプスが逆光で、うまく写せなかったのが残念でした。
で、「彼女は、歌うときには、ほとんど考えていないんじゃないか」についてですね。
僕らの世代で云うと「長嶋茂雄」的な「来た球を打っているだけ」って感じかと思います。
彼女は「HOME」を歌うにあたってインタビューに答えてます。
「ただの糸でなくって、繊細な糸なんだなあ。なるほどなあ。」
「今、こんなんだよって、思いながら歌う」
「今の自分が歌えるHOMEを自分らしく表現して」
いろいろ言ってますけど、僕には、ノープランってことに聞えてきます。
「作為がほとんど感じられない」と同じかもしれません。
作為的にしないというよりも、出来ないって言っちゃってもいいかもです。
一生懸命だろうけど、歌えるようにしか歌えない。
では、何故、そんな彼女の歌が、多くの心に響くのか。
彼女が表現者としての何かを持っているのは確かだと、僕も思います。
そして、その「何か」をあれこれ妄想するのが、ファンとしての最高の楽しみ方なのだと思います。
丁寧なコメントありがとうございました。
確かに、そのとおりなんでしょうね。
多分、性格的にも綿密なプランを事前に用意するような子じゃないでしょうし、そもそも、歌唱に対する選択肢は極めて限られたものしか持ち合わせていないのだと思います。
何か、思うところは大した差がないのに、無理矢理に難癖付けたような気がしてきました。めんどくさくてスミマセン。
めんどくさいついでに言わせていただけば、僕もテレビのあのくだり、純奈さんには悪いんですけど、少々笑ってしまいました。
でも、中学生であれば、あんなところだと思います。彼女なりの配慮で、何か言わなきゃってことであんなコメントになったんだと思いました。正直な子だと思います。
宿題で感想文を書かされたことを思い出して、つい同情してしまいました。本を読んで素直に感動したのにそれ以上一体何を言わせたいのか❓
彼女も、もう少し年月を経れば、語彙も増え、聞き齧った言葉の断片も集積されてくるでしょうから、もう少し小賢しいコメントも出来ることでしょう。
予想するに、インタビューでは、もっとあれこれ(ただし、あまり内容の無いことを)言っていって、それをNHKさんが、意味ありげなコメントになるように切ったり繋げたりしたのかもしれませんw
多くのファンが語っている通り、歌唱と現実のギャップこそが彼女の最大の魅力だと思います。
大人でもなかなか為し得ないことを、ノープランの彼女が簡単にやってしまうのは、痛快でもあります。
話は変りますが、ギャップという点では、ママチャリ、ヘルメットでの登場は最強です。
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