M.L.4で披露してくれた、2007年の楽曲は、
昼の部が「今はレットイットビー」、夜の部が「ダブル レインボウ」となってます。
どちらも、オリジナルアルバム「ダブルレインボウ」からのセレクトですね。
この年の亜弥さんは、シングルのリリースは、「笑顔」、CPは「あなたに出会えて」の1枚だけで、
売り上げの方は、オリコン週間16位とのことです。
まあ、1年に1枚ずつでも、コンスタントに出していれば、十分なことだと思います。
で、この曲は、アルバムに収録されていますので、
2007年はアルバム「ダブルレインボウ」をチェックすれば、とりあえずOKということになります。
2つのシングル曲を含めた、全11曲で構成された、「ダブルレインボウ」は、
渾身の1作とも云える、素晴らしいデキに思います。
実年齢からすると、若干落ち着き過ぎの感はありますが、
松浦亜弥は、こういう方向へ進んでいくんだ、という想いが伝わってきます。
もう1つ、注目される活動はミキティとのユニット「GAM」のライブツアーを開催したことです。
「GAM 1stコンサートツアー」と銘打った7会場19公演のライブは、なかなかの迫力のステージで、
やってる方も、見ている方も、ホントに楽しくて堪らないって感じです。
「1st」ってことは、当然「2nd」もやるつもりだったのでしょうけど、
ミキティがあんなことになってしまったんで、これっきりになってしまいました。
もっとも、恋愛問題で爆弾を抱えていたのは、松浦亜弥さんも同じでしたから、
たまたま、ミキティの方が暴露されただけで、この件に関しては、どっちもどっちだと思います。
そして、何より、ソロ・コンサートツアー「ダブルレインボウ」の公演が開かれたことです。
3年ぶりのオリジナルアルバムのリリース、そのアルバムをもとにソロ・コンを開催するという、
アーチィストっぽい活動が開始できたことです。
もし、過去に戻れるのなら、一番参戦したいライブは、2004年の「代々木スペシャル」ですが、
それと同じくらい、僕が参戦したいのが、この2007年の「ダブルレインボウ」です。
生バンド伴奏の導入。
バラードもアイドルソングも同等に扱うセットリスト。
聴かせるときには聴かせ、盛り上げるときは盛り上げる。
アイドルとしても、大人のシンガーとしても充分通用しています。
全てを兼ね備えた、理想のライブに思えます。
「今はレットイットビー」です。
褒めておいてこんなことを云うのもなんですけど、
アルバムの歌唱も、2007年のライブの歌唱も、ちょっと頑張りすぎの感があります。
やはりベストテイクは、このマニアックライブⅣだと思います。
ライブ全体に云えることですが、力の抜け具合が本当に良い感じに思います。
静かに自分を振り返っていると云う、歌詞のイメージにぴったりの歌唱に思います。
「ダブル レインボウ」です。
「ダブルレインボウ」は、たくさんのライブで歌っていますが、どれも好テイクに思います。
もちろん、このライブのテイクも大好きです。
ピアノ伴奏を基本に、最後にパーカッションが入って、一気に盛り上げるというアレンジも最高です。
もちろん、オリジナル版の、(必要以上に)壮大なアレンジも良いと思います。
「ダブルレインボウ」にハズレなしと云うのが、僕の感想です。
これは、ある意味歌いやすい(歌うのが簡単という意味ではありませんよ)というか、
歌唱力をアピールするのに最適な楽曲だといえます。
日本中の歌自慢の女の子たちが、カラオケバトルとか、ボーカルコンテストで
使ってくれると嬉しいんですけどね。
2007年以降は、「つんく♂」氏のプロデュースから完全に外れることになります。
これはハロプロのアイドル「あやや」からの決別でもありました。
このことは、数々の困難を乗り越えながらも、
アイドル「あやや」を追い求めて、付いてきた多くのファンを失望させることになります。
とは云っても、オリジナルアルバムのリリースと、ソロコンサートツアーが開催できたというのは、
残ったファンにとっても、松浦亜弥さんにとっても、最高の一年だったと思います。
と、いうふうに考えていくと、ポシャってしまった「GAM」の活動が、
実は、大きな意味を持っていたように思えてきます。
「GAM」の活動をハロプロタレントとしての本業とし、
サイドビジネスとして、本格的バラードシンガー「松浦亜弥」の活動を行うという構想です。
この活動を2・3年続けることができたらば、
その後の展開も大きく変わっていったように思えてなりません。
松浦亜弥さんは、2011年に「子宮内膜症」であったことを公表しますが、
体調に異変が始まったとされるのが、この年になります。
病気が芸能活動に与えた直接の影響は分かりませんが、
ここから、負のスパイラルが始まったのは、確かです。
熱愛騒動などなくとも、同じ結果になっていたかもしれません。
結局、2007年という年は、
松浦亜弥さんにとっても、ファンにとっても、最高でありながら、最悪の年だったのです。
2 件のコメント:
子宮内膜症が一番大きかったのではないかなと思います。人によってかなり症状に差がありますが、大量出血と激痛が毎月1週間はあるので(酷いと2週間以上)、ピルなどで時期をずらすにしても08年、09年とよくツアーをやったなと思います。
出産で症状が変わる人が多いそうですが、今でも完治はしていないと思います。子宮摘出をすれば治りますが、もうひとり子どもが欲しいと思えばそれもできないので、悩ましいところです。
亜弥さんの年齢を考えるとまだ十分間に合うので、もうひとり産んでから本格治療に入って3~4年後に復帰が一番いいんじゃないかと。
まったく余計なおせっかい妄想ですが、このまま出てこないのは本当にもったいないし、やっぱり幸せにはなって欲しいし。
もうすっかり亜弥は自分の娘だと思ってますから。
コメントありがとうございます。
病気に関しての妄想をさせていただくと、
もし、2007年の段階で、しっかり診断を受けて、治療をしたり、病気を公表してれば、違った展開になっていったように思います。
病気を公表したのは、女性への啓蒙とか、同じ病気を持っている人たちへのエールからだと思いますが、だとすれば、診断を受けた時点で、直ちに公表すべきだったと思います。
2011年になってからの公表では、どうも仕事をしていないことの言い訳に聞こえてしまいます。
2007年から体調が悪くって、「生理が重いなあ」なんて思いながらも放置していて、原因が分かったのが2011年ということも考えられます。
そういう失敗をしないようにという警告の意味を込めての公表だったのかもしれません。
いずれにしても、病気が、仕事に対するテンションを下げてしまったことは、想像できます。
よりによって、新たなスタートを切った2007年に発病するというのは、あまりにも気の毒でなりません。
そして、病気が、復帰を決心することの妨げになっている可能性も大いにありそうですが、熱意さえあれば、復帰は可能に思います。
根治を目指すにしても、病気と付き合っていくにしても、仕事を続ける方法はあるはずですからね。
ファンとしては、祈るしかありません。
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