Winkの鈴木早智子さんが、過酷なスケジュールに耐えられきれなくなり、
発作的に失踪してしまう、という事件が起きました。
この記事について「ts」さんから、貴重なコメントをいただいております。
より深い理解のためにも、是非ともコメントと合わせて読んでいただければ、と思います。
1988年の4月にデビューしたWinkは、同年11月にリリースした「愛が止まらない」がヒット、
翌1989年の1月からブレイクが始まります。
スケジュールが一気に過密になる一方で、
二人は実家を出て、都内のマンションに隣同士で住み、一人暮らしを始めます。
失踪事件が起きた3月は、「愛が止まらない」のヒットが続く中、
新曲「涙を見せないで」のキャンペーンに加えて、
新しいアルバムの制作を進める、という忙しさだったようです。
慣れない一人暮らしと、超過密スケジュールの毎日、精神的に追い詰められていった早智子さんは、
隣に住んでいた相田翔子さんに「ごめんね」と置き手紙をして、発作的に失踪してしまったのです。
この時の経緯は、彼女の自伝「負けじ魂」に詳しく書かれているのですが、
実は、この本が出るまでは、このことはファンの間でも、全く知られてませんでした。
以下、抜粋して引用させていただきます。
当時は生放送の音楽番組も多く、
他の収録番組などを合わせると、殺人的なスケジュールです。
自分たちでも何をやっているのか分からなくなるほどでした。
3月23日、この日の朝、私はあることを決意しました。
「消えよう!」そう決意した私は、タクシーに飛び乗り、
茨城県にある私の実家の別荘に向かったのです。
別荘と言っても、単なる山小屋です。
周りは海に囲まれており、人が誰もいないことも好都合でした。
どうやって別荘まで行ったのか。車の中で何をしていたのか。
着いて何をしたのか。まったく覚えていません。
(当日出演予定だった)「ザ・ベストテン」では、
風邪のためお休みと発表されたのですが、
新聞やワイドショーで騒がれることはありませんでした。
その後、怒られたり、謝りに行ったりした(恐らく謝ってない)と思うのですが、
これも覚えていません。
今にして考えると、ファンの方や関係者、
そして翔子には大変申し訳ない思いでいっぱいです。
で、凄いのは、この時、相田翔子さんが一人で歌っている動画がYouTubeにあるってことなんです。
夜が、そのまま名古屋に残って「ザ・ベストテン」の生中継ってことになっていたようです。
ベストテンでは、一人なのに、マイクスタンドが2つ並べられているのが、なんとも・・・ですね。
それにしても、相田翔子さんの存在感が際立っています。
凄みさえ感じられます。
「早智子さんがいないと・・・いかに頼りっぱなしだったのが・・・」なことを云ってたそうですが、
本心は、全然別のところにあるように思えてなりません。
動画に寄せられている「一人でも充分にイイんじゃねえ」なんてコメントを見ると、
何となく納得してしまう自分がいて、複雑な心境になります。
1996年に、Winkは活動を停止するわけですけど、
それは、鈴木早智子さんを切り捨てるようなかたちで行われたわけですからね。
Wink 調査部員の「つ。」さんが、この前後のWinkのスケジュールをまとめていらっしゃいます。
それによると・・・。
3月10日(金) 夜に東京で生放送番組「ミュージック・ステーション」に出演。
3月11日(土) 大阪でキャンペーン開始。深夜、関西テレビの生放送「エンドレスナイト」に出演。
3月13日(月) 大阪でのキャンペーン最終。夜までに東京へ戻り、生放送「歌のトップテン」に出演。
この時は、3週連続の1位獲得で、
翔子さんと早智子さんがパートを入れ替えるという演出で「愛が止まらない」を歌っています。
違和感なさ過ぎですね。
結果的に、翔子さんが一人で歌った時のリハーサル代わりになったかのようです。
3月14日(火)アルバムのレコーディング
3月15~17日沖縄でロケ、沖縄から生中継で「ザ・ベストテン」に出演。
3月18・19日札幌でキャンペーン。
3月20日(月)に福岡でキャンペーン。東京に戻り、生放送番組「歌のトップテン」に出演。
3月21日(火)鹿児島で南日本放送の100周年記念イベント。
3月22日(水)福岡でイベント。
3月23日(木)早智子さん失踪。名古屋で「ドラゴンズ祭」の収録、夜「ザ・ベストテン」の生中継。
3月24日(金)「ミュージック・ステーション」に二人で出演。
3月25日(土)岡山 山陽放送でイベント。
となっています。
歌番組でのテイクの多くはYouTubeに投稿されています。
特に、失踪翌日の24日のテイクは、限定公開ですが視聴可能になっていて、
歌番組では、ほとんど口パクをしない彼女たちが、
明らかに口パクをしている、という貴重映像になっています。
まあ、前日にお休みしていたんですからね。
風邪による体調不良で口パクなんだろうって、ファンは思っていたかもしれませんが、
もし、精神的な原因で、口パクをしたのであったなら、これほど痛々しい映像はありません。
歌が大好きで、なんとしても歌手になりたかったという女の子が、
歌うことができなくなるということ。
隣で、何事もなかったかのように振る舞う相方。
視聴者が何気なく見ている映像の裏に、こんなことがあったのかと思うと・・・。
で、歌の前には、タモリさんが、「風邪大丈夫なの(歌えるの?)」みたいなことを云ったの対して、
「お腹の風邪だったんで(歌えます)」って答えるという、スレスレなトークを繰り広げています。
この後も、3月26日(日)には大阪の近鉄百貨店で「ミニ・コンサート」をしています。
このミニ・コンは、アルバム購入者に抽選で整理券を配布した限定1,000人のライブだったようで、
デパートの屋上という、昭和感丸出しのステージです。
このライブテイクも、YouTubeに投稿されています。
初期のアルバム曲なども披露していて、なかなかの動画なんですが、口パクのように感じます。
ただ、Winkの動画は、ファンがライブの映像にCD音源を組み合わせて公開、なんてのもあるので、
動画が口パクだからといって、実際のライブも口パクであるとは、断定できないようです。
26日は、ライブ終了後、そのまま雑誌撮影のためグアムへ直行って感じで、
失踪するほど、精神的に追い詰められているのにもかかわらず、容赦ない過密スケジュールです。
ただ、グアムでの撮影旅行は、忙しかった2人へのご褒美という意味もあったのかもしれません。
4月6日(木)の「ザ・ベストテン」では、
ついに、新曲「涙を見せないで」と「愛が止まらない」の2曲が同時にランクインになって、
風邪で休んでスミマセンでした、みたいな話をしています。
改めて思うのは、当時の生の歌番組が、いかに負担になっていたかってことです。
「ベストテン」「トップテン」「Mステ」などの番組に出演するため
地方での営業から、その日のうちに東京へ戻るのは、かなりの負担でしょうし、
生中継をする場合でも、打ち合わせとかリハーサルとか大変そうです。
何も無ければ、営業後はオフになって、休めるでしょうからね。
現在では、こういう番組は、少なくなってしまいました。
それが歌謡界の衰退を招いた理由の1つとされてますけど、
案外、歌手の皆さんは、ほっとしていたのかもしれません。
この後も、鈴木早智子さんは、ホントの病気で、仕事をお休みするようことがあるのですが、
診断書を視聴者に見せたりしてます。
本来、そんな義務はあるはずも無く、こんなことは、人権的に問題ありだと思うのですが、
まあ、タレントに人権など、存在しないと云うことでしょうか。
一方、相田翔子さんは、このようなことはあまり知られてませんですから、
翔子さんが、いかに、精神的にも肉体的にもタフであるかが分かります。
早智子さんの自伝には、いきなりのブレークに見舞われたタレントが
どんな状況にあるのかが、伺い知れるエピソードがいろいろと書いてあります。
これは、「淋しい熱帯魚」をリリースする前の話です。
この後も、様々なアクシデントを乗り越えながら二人は快進撃を続け、レコード大賞を獲るのですが、
過熱する人気と、どことなく醒めている二人、という構図は、この後も続いていくのです。
10 件のコメント:
大sansan さん、こんにちは。
私の名前を明記してくださってありがとうございました。「そもそもこんなの読む人いるんだろうか」と思いながら自己満足のために調べて書いたことですが、それを読んで下さっただけでなく、きちんとフェアなかたちで活用して下さって、大変うれしいです。
さて、指摘するのは心苦しいですが、大sansan さんが書かれている日付で間違っているものが一つあります。『ザ・ベストテン』で「3月30日(木)」とされているものは、4月6日(木)のものです。雑誌記事を動画化したある動画の説明欄に書いたことなんですが、3月26日(日)頃から31日(金)頃までのおよそ6日間、Wink の二人はグアムにいます。撮影以外の仕事をしている形跡を今のところ見いだせていません。たぶんグアムでは、雑誌の撮影以外は、実質オフになっていたんじゃないかと思います。
大sansan さんのここでの主題との関係で、Wink がグアムにいたのがその期間だとどうなるのかというと、鈴木さんが喫煙するに至るまでのイメージが、少しはっきりしてくるということがあります。『負けじ魂』で鈴木さんがグアムで煙草を覚えたことを書いていますが、それがこの時です。失踪事件から一週間以内、鈴木さんの心が落ち着いて比較的すぐのことだと思います。『負けじ魂』に、鈴木さんがグアムでの「ものすごい解放感」の中、「忙しさからの反発」で「何か悪いことをしてみたい」と煙草を吸い始めたように書いていますが、これに失踪事件直後という前提を加えると、鈴木さんにとっての「ものすごい解放感」の「ものすご」さ、鈴木さんの心の大きな振れ幅がより鮮明になってきますし、失踪という「悪いこと」をした直後に別のかたちの「悪いこと」を求めたということが分かって、相田さんと比べると目立ってしまう、でも誰でも持っていそうな彼女の弱い部分や、自分の心を何とかして守るためにその時はそうするしかなかった鈴木さんという人間のあり様などが、よりはっきりみて取れるようになると思います。私が『負けじ魂』の編集者だったら、拒否されない限り失踪の件と喫煙の件は一連のものとして書いてもらっていたところです。Wink の『ザ・ベストテン』出場が3月30日だと、鈴木さんの生々しい心のありようが見失われてしまうので困ります(?)
ちなみに、私の動画の説明欄の文章は、関係資料が手に入るたびに改訂しています。私が整理した情報で大sansan さんの書かれたものは、少し前のものですね。
今の動画の説明欄に書いている情報を追加しておくと、
3月14日(火) 振り付けのシメのポーズ変更のレッスンとアルバムのレコーディング
3月21日(火) 鹿児島でイベントに参加 ※20日に予定されていた福岡キャンペーンが中止になった可能性あり
それから、まだ確定していないんですが、相田さんが恵比寿のマンションに引っ越ししたのが鈴木さん失踪の前日=3月22日の可能性があり、日付が変わった深夜に相田さんが裸エプロンで鈴木さんにふとんを借りに行っているので、夜中に相田さんの裸エプロンを見てしまった鈴木さんが失踪してしまったというような、そこだけ切り取るとシュールな展開があった可能性があります。繰り返しますがまだその日だと確定していません。実際どうだったのか、2人揃ったから話せるあんなことやこんなこと、Winkを再結成して話してほしいんですけど……
貴重なコメントありがとうございます。
早速、記事を修正させていただきました。
失踪と煙草の関連についてですが、なるほどと思いました。
「負けじ魂」でも煙草に関する記述は多く、
口絵にも、煙草を吸っている写真を載せていることから、
早智子さんにとって、煙草というのは、アイディンティティとも関連して、
特別な意味を持つように思います。
特に、失踪→グアム→煙草、という流れは、大変重要なところだと思います。
本には、失踪についてと煙草についての記述が、別々の章になっていますので、
失踪後のグアムが、煙草のグアムだということに気づきませんでした。
早智子さんの人間的な部分や、心の葛藤などを考えていると、
そのまま、一人のタレントを描いた小説かドラマになりそうに思います。
すいません。前回のコメントで3月22日(水)についてうっかり書くのを忘れていました。
実はこの日の日程がどうだったのか、最も肝心な日の一つなのにわかっていません。私が動画の説明欄に書いた文章では、東京近辺で立ち回っていた「はず」としているように、憶測です。この日は一日、または半日オフだった可能性が出てきていて、私が相田さんの引っ越しの可能性をこの日に見ているのはそのためです。鈴木さんが3月23日に失踪したのが、単純に我慢の限界点に達したということなのか、前の日に何かきっかけになるものがあったのかが気になるところなんですが…… この日がオフの場合は、鈴木さんが、考えるまとまった時間、または不安感にさいなまれるまとまった時間を持ってしまったことも、失踪のトリガーになりうるとは思っています。この日の日程が分かったらお伝えします。
さて、鈴木さんにとって煙草に特別な意味があるというのは、おっしゃる通りだと思います。煙草、それだけだとささいなことにも見えるのですが、Wink 時代の煙草は「アイドルのタブー」とでも抽象化した方が分かりやすくなるんでしょうね。グアムで煙草をふかした時に、その場かぎりで止めなかったのは、アイドルのタブーを毎日何度かこっそり破っている自分、それが他律的に行動させられ続ける売れっ子アイドルを続けるための心の余裕のありかになったからなんじゃないかと私は思っています。3月の失踪は、忙しさによる心の余裕のなさや、自我を押さえて毎日毎日一日中 Wink を続けなければならない不安感が根本的な原因でしょうから。アイドル稼業を続ける上での心の余裕をどうやって確保するかは、鈴木さんの中ではっきり言語化されていなかったとしても、失踪事件直後の緊急で切実な問題だったと思います(8月2日の方の失踪は、3月の失踪と性質が違っていて、相田さんとの関係性に重点のある出来事だったんじゃないかと私は憶測しています)。
相田さんのような豪胆さも適度ないいかげんさもない鈴木さんが、もしグアムでの興奮状態の勢いをかりて煙草を始めなかったら(グアムに行ったのが失踪事件直後でなかったら喫煙を始めていなかったかもしれない)、その後、タイミングが合わなくて恋人ができていなかったら、アイドルとしてはほどなく精神的に完全に潰れたんじゃないか、「淋しい熱帯魚」が世に出る前に Wink はなくなっていたんじゃないかという気もしています。どちらにしても、鈴木さんの主観としては、最盛期だった頃の Wink を乗り切ったことと煙草とが不可分になっていることは、想像に難くありません。『負けじ魂』を一読しただけでも、89年の光と影が鈴木さんの心の中で重要な一角を占めているのは明らかです。その影の中心的な構成要素の一つこそ煙草なんだと思います。
大sansan さんに「鈴木早智子と煙草」、またはもっと大きめに「アイドルとタブー」のお題を提案したいところです。
人間・鈴木早智子の人生は、本当に小説かドラマになりそうです。特に Wink 時代と、鈴木さんが前の事務所にいたころ前後。後者の方は、表に分かりやすく出いている情報だけを見ると、鈴木さんがダメ人間ぐらいにしか見えないと思いますが、彼女自身の情報のほか周辺情報も加えて時系列を気にしながら整理してゆくと、彼女にはどうにもできない部分での闇の断片が見えてきて、ぞっとすることがあります。去年相田さんが Wink 再結成に前向きな話をした直後のタイミングで金銭トラブルの件が出された時なんかは…… 今後全体像が分かることがあったら、それは良くも悪くも相当ドラマチックなものになるとは思います。関係者たちの中で感情的にも利害的にも完全に過去の話になるまで、私たちが分かるようになることはないのでしょうけど。鈴木さんが傷つくんだったら知りたくないですけどね。
「アイドルとタブー」ですか、とてつもなく大きな問題に首を突っ込んでしまった気分です。
「アイドル稼業を続ける上での心の余裕をどうやって確保するか」・・・なるほどです。
タレント、とりわけアイドルというのは、想像もできないストレスの中に、身を置いているわけですから、
ホントに特殊な存在なんだと思います。
15・6歳ぐらいでしたら「何も考えない」というのもあるかもしれませんが、
Winkは、大人になってからのデビューでしたし、当初はアイドル路線で無かったみたいですから、
かなり強い、違和感とか、反発とかがあったと想像できます。
アイドルを続けていくには、「心のバランスを保つ術を持っている」ことが不可欠だったんでしょうね。
恋愛とか煙草とか、アイドルにとってタブーとされているものですけど、
事務所の社長さんとかが、すぐにヤメロと云うのは当然に思いますけど、
面白いと思ったのは、彼女に近い人たちが、コッソリ煙草を買ってきたりとか、意外と協力的なんですよね。
まあ、マネージャーは、タレントの奴隷と云えばそれまでですが、それだけとは思えないものを感じます。
松浦亜弥さんも、早い頃から、今の旦那さんと恋愛関係にあったようですけど、
事務所の車を使ったりと、周りの人間がコッソリ会えるようにお膳立てをしてあげている。
鈴木早智子さんの恋愛事情も同じように思います。
周囲の協力が不可欠ですよね。
マネージャーさんがタレントのわがままに従ってしまうのは、
一番近くで見ている人間として、このままでは精神的にも崩壊してしまうのではないかという、
危機感を共有しているからのように思えてなりません。
Winkさんも、まもなく、デビュー30周年ですね。
予想できたこととは云え、何も無いまま過ぎてしまいそうに思います。
昨年、再活動確実みたいな報道の後に出てきた否定的な発言なんかは、
相田さんが、「昔の悪い友だちと、今でも付き合っていることを咎められた」かのような扱いでしたし。
闇の断片とか、知らないほうが幸せとか、ホントにドラマみたいです。
でも、こうやって、30年も昔のアイドルについて、語ることができるのも、
彼女たちの魅力を再認識できるのも、YouTube動画があればこそ、
インターネットと、そして何より、
Winkを愛するファンの方々に感謝です。
前のコメントで Wink の89年3月22日の動向が分からないと書き込みましたが、『ORICON WEEKLY』89年3月27日号で、どういう予定になっていたのか分かりました。この件が分かったらお伝えする旨書いていましたので、この雑誌の17㌻の記事を以下に書き写しておきます。情報は正確な方がいいと思いますので、ブログ記事にご反映なさることをお勧めします。
3月20日/福岡キャンペーン。
21日/鹿児島南日本放送の100周年記念イベントに出演。
22日/福岡でイベント。
23日/CBCテレビ“ガンバレドラゴンズ祭り”にゲスト出演。
24日/レコーディング。ニッポン放送“吉村明宏のときめきバナナ”に出演。
25日/山陽放送のイベントに出演(岡山)。
26日/CBC“ローソンフレッシュフェスティバル”の公録に出演。近鉄百貨店あべのでミニ・コンサート。
以上は、雑誌の発売日3月20日の直近の Wink のスケジュールなので、彼女たちが予定通り20日と22日に福岡にいた蓋然性は高いと思います。24日のレコーディングは鈴木さんがあの状態なので怪しいですが。
以上を踏まえると、『負けじ魂』でどう読むべきか問題がある記述がでてきました。
この本での鈴木さんの失踪の件は、92㌻で、「朝、マンションに事務所の車が迎えに来て」であったり、「翔子が隣に住んでいる」であったりといった文章を含む前置きから始まっています。それで私は95㌻にある記述、鈴木さんが失踪する際に「隣の部屋だった翔子に向けて、手紙にこう書いてドアに入れたのです」という部分の「隣の部屋」を、マンションの「隣の部屋」だと思って読んでいたのですが、もしかしたらビジネスホテルなどの「隣の部屋」かもしれないという可能性がみえてきました。『明星』89年5月号の記事によると、3月3日の時点で二人の引っ越しがやっと決定していただけの段階だったことが分かるのですが、3月22日が空いていないとなると、3月中に引っ越しできるように見えないのです。
もちろん、地方キャンペーン中の合間に手荷物だけを持ってとりあえず入居するということも可能ではあるのですが、89年4月1日に取材したとみられる『明星』89年6月号の記事で、相田さんがもうすぐ引っ越しだということを言っていて、これより前に相田さんがマンションに住んでいるように読める『負けじ魂』の記事と矛盾している(ように見える)ため疑問だったんですが、そもそも矛盾していないのではないかと思い至りました。
『負けじ魂』は、タレント本の常として、ライターさんが鈴木さんの話したことを文章化している可能性もありますが、仮にそうだとしたら、ライターさんが鈴木さんの発言の意味をどこまで正確に捉えきれているかという話にもなってきます。どちらにしても『負けじ魂』には、期せずして「騙し絵」のようになってしまっている文章が意外とあるのかもしれませんね。
古文書の発掘により、新事実が発見され、学説が修正されていく。
アイドル歴史学という、学術分野として十分に成立していると思います。
どこかの大学に講座を持っても良いんではないかと。
3月23日の段階で、相田さんが隣に住んでいないとなると、確かに話は変わってきますね。
ただ、「部屋は確保しているけど、そこには定住していない」ということは、ありそうに思います。
相田さんは、隣の早智子さんのところに、布団を借りたりしているわけですよね。
実家に帰れないようなときにだけ、そこの部屋に泊まっていた可能性はどうでしょうか。
松浦亜弥さんがライブのMCで「引っ越しも今回は自分でした」みたいなことを言っているんですが、
忙しいタレントさんの場合、引っ越しなどは、本人不在でやってしまうこともあろうかと思います。
22日が福岡というのも不思議です。
23日が名古屋なのに、22日のうちに東京に戻ったのでしょうか。
タクシーを使って失踪したというのは、インパクトあるできごとですから、記憶違いがあるとも思えません。
まさか、福岡や名古屋から茨城の別荘までタクシーで行ったとも考えられません。
23日の朝は、どこにいたのかという、一番肝心なところがはっきりしなくなってしまいました。
25日岡山のあと、26日はCBCの公録(名古屋でしょうか?)。大阪でミニ・コンサート。グアムへ。
というスケジュールも凄いですね。
誰でも消えたくなると思います。
科研費が脳内にあるせいで資料を一気に集められない脳内大学アイドル学部日本アイドル史研究室准教授 ts です。こんにちは。脳内部活道 Wink 調査部の部員から一瞬だけクラスチェンジしてみました。
先に書いた3月26日の公録は、CBCではなくOBCの打ち間違いです。ラジオ大阪です。訂正します。失礼しました。
さて、3月中に Wink が「部屋は確保しているけど、そこには定住していない」のではないかという件ですが、私はその線は考えにくいと思っています。相田さんが3月22日以前にマンションの部屋を寝床として使うには、彼女がふとんを持っていないといけません。また、以下の映像の相田さんの話などを聞く限り、彼女が鈴木さんにふとんを借りに行ったときには、既に鈴木さんが生活用品を揃えています。
https://www.youtube.com/watch?v=gx7xvRjRi2U&t=1m10s
映像では、二人のうちどちらが先にマンションに入居したかで、鈴木さんと相田さんの話がくいちがっていますが、鈴木さんにせよ相田さんにせよ、片方だけが生活用品を揃えるところまでいっていたとなると、本人不在での引っ越しは考えにくく、そうなると3月の日程では、マンションを仮の宿りにすることすら無理なんじゃないかと思っています。
ちなみに、鈴木さんが相田さんの話を自分のことのように間違って記憶していることが、たまにあります。例えば、『負けじ魂』の98㌻に、『ザ・ベストテン』で 笑いが止まらなくなったのを思わずチェッカーズのせいにしてしまったと書いてありますが、1991年6月30日放送の『思い出のザ・ベストテン』を見ると、チェッカーズ云々のことを言ったのは鈴木さんではなく相田さんです。鈴木さんのこういう記憶違いのしかたは、彼女にとっての Wink を考える上ではヒントになりそうです。
本題に戻って、3月23日の朝なんですが、私はWink が22日の夜には福岡から東京に戻っていたことを仮に考えています。というのは、彼女たちが3月20日から22日までずっと九州にはりついていたわけではなく、20日の夜に一旦は東京に戻って『歌のトップテン』に出演しているからです。同じように、22日もその日のうちに飛行機で福岡から東京に戻って夜遅くまで番組収録か何かした後、時間の関係などで帰宅せずにホテルで一泊、その時にとうとう鈴木さんの心が折れてしまったということなんじゃないかと今のところは想定しています…… まあ、想定なんていうのは、今まで資料がみつかるたびに何度もひっくりかえっているので、しょせんは仮初めのものなんですけど、失踪に至るまでの過酷なスケジュールを常識的な範囲で考えてはいけないという気はしています。
どちらにしても地獄のスケジュール。
そこに至るまでの流れを簡単にまとめると、
ビジュアルが先行しないようにテレビにはあまり露出させずに各地を巡らせて生歌を聞かせる、理想が先走ったシングル2作目「アマリリス」
そして経営的に窮地に立った事務所
理想を捨ててて全国的なテレビ露出を優先させた3作目「愛が止まらない」
この曲のヒットで事務所が黒字に逆転、理想と実利の二兎を同時に追った4作目「涙をみせないで」
無茶ぶりをされて壊れかけたものの立ち直った鈴木早智子
簡単にまとめてしまうと、その時々の当事者たちの期待、落胆、切迫感、喜び、興奮、苦痛、その他いろいろ見えにくくなってしまいますが、全体的な流れと細部が具体的に分かってくると、鈴木さんの失踪も共感できてしまう部分が増えてきました。少なくとも私には。相田さんのたくましさには感動すら覚えますが……
「相田さんの話を自分のことのように記憶している」
確かに、これは、面白い現れですね。
「私」と「私たち」が同一化することは、多少は理解できますが、
「私」と「あなた」が逆転するというのは、不思議な話に思います。
それから、23日は、やはり東京にいたと考えるのが自然と思いますが、
何日も家には帰っていなかったのでしょうね。
それが、心が折れてしまった原因に思います。
理想と実利
笑えとか、笑わないからよかったとか、
世間の反応に翻弄されていく二人と、事務所の社長さん、
本当にドラマです。
コメディーっぽく作れば結構面白いと思います。
エンディングは、どこに設定しましょうか。
お久しぶりです。
Wで始まる某インターネット百科事典の「鈴木早智子」の項を1年半ほど前から増補してきているんですが、明日の夜、鈴木早智子さんの誕生日を記念して、というわけではないながら、「人物」という節を作って、こちらのコメント欄などに書いたことなどの、事実が確定している部分を書き込みたいと思っています。
誰かがパクって書いているというわけでないということで、お知らせしておきたいと思います。
お久しぶりです。
某インターネット百科事典の記述を読ませていただきました。
30年も前の、恐らく本人達も記憶から無くなっているであろう当時の状況を収集分析されていること、恐れ入ります。
改めて、伝説のWinkの睡眠時間「ゼロ」スケジュールの凄さが分かります。
鈴木早智子さんですが、年末のレコード大賞にも出演されていていましたよね。
あのような自然な感じで、今後も、時々、テレビに出てくれれば、良いなと思います。
相田翔子さんが、7月にCOTTON CLUBでライブをやったことは知っていたのですが、シークレット企画で鈴木早智子さんが登場してたのは、知りませんでした。それをうけての「思い出のメロディー」出演だったんですね。驚きです。
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