「ナチスドイツは、思っているほど強くない」「アメリカと戦っても良いことは1つもない」などというのは、誰もが分かっていることでした。
開戦前に提出された対アメリカ戦の研究報告書には、「開戦初期には勝利が見込めるものの、長期戦になることは必至であり、日本の国力では、資源不足と生産力不足によって戦力の低下は避けられない。戦局が決定的に悪化すれば、最終局面で必ずソ連は参戦し日本は敗れる」とあったそうです。日本は、ここまで分かっていながら、開戦に踏み切ってしまったのです。
でも、日本がアメリカに頭を下げ、戦争をしないで、結果、負けることなく、戦前の体制が今も続いていたら、この日本は、どんな国になっていたんでしょうか。アメリカは、戦争に勝ちましたけど、その後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争など、世界中の紛争に介入することになり、今でも、多くのアメリカの若者が、世界の何処かで犠牲になってます。今の日本の存在は、馬鹿な戦争をして、負けてくれたからこそあるとも云えます。
歴史を反省することは必要ですけど、否定することはできないし、現在を肯定するということは、過去を受け入れることでもあると思います。
さて、真珠湾攻撃に関しての評価ですけど、「アメリカ国民を本気で怒らせた」「攻撃が不十分だったので、アメリカの反撃を容易にした」などという批判的なモノが多いです。これは、結果的に戦争に負けたからであって、もし、勝っていれば(ありえない話ですけど)評価も180度変わっていたはずです。
当時の日本海軍の仮想敵国は、(一応)アメリカでした。戦争が起きれば、日本は、資源を求めて東南アジアへ進出します。で、怒ったアメリカが日本近海にやってきます。そこを空母や潜水艦の攻撃で弱体化させ、戦艦を中心とした艦隊で迎え撃つというのが基本戦略でした。つまり、常識的で現実的な「防衛思想」です。こちらから、航空母艦で遠路遙々ハワイまで出掛けていって、要塞化された真珠湾の海軍基地を先制攻撃しようなんてのは、あまりにも奇想天外な発想でした。この有り得なさが、現実に実行されたことによって、今一つ理解されてないように思います。
つまり、真珠湾攻撃などは、遂行不可能か、あるいは、決行しても失敗確実な作戦だったのです。
アメリカは日本を完全に見くびっていました。この前まで、頭にちょんまげをのせていた民族です。黒船4隻でパニックに陥り、日露戦争で勝ったといってもイギリスの援助があればこそ、最近、新型の戦闘機を作ったらしいがエンジンは非力だし、そもそも、黄色人種で近眼な日本人に飛行機の操縦などできるわけがない。というのが、アメリカ人が日本人に対して持っていた一般的なイメージでした。
これほど大掛かりな軍事行動が、奇襲という形で成功したのは、アメリカが日本を見くびっていたからに他なりません。
「蒼龍」は、1937年に竣工した中型の正規空母です。設計の段階から純粋な航空母艦として建造され、この後、建造された「飛龍」や「翔鶴」などは全て、この「蒼龍」を改良した艦になりますから、日本型航空母艦の原型と云えます。
当時の日本海軍の仮想敵国は、(一応)アメリカでした。戦争が起きれば、日本は、資源を求めて東南アジアへ進出します。で、怒ったアメリカが日本近海にやってきます。そこを空母や潜水艦の攻撃で弱体化させ、戦艦を中心とした艦隊で迎え撃つというのが基本戦略でした。つまり、常識的で現実的な「防衛思想」です。こちらから、航空母艦で遠路遙々ハワイまで出掛けていって、要塞化された真珠湾の海軍基地を先制攻撃しようなんてのは、あまりにも奇想天外な発想でした。この有り得なさが、現実に実行されたことによって、今一つ理解されてないように思います。
つまり、真珠湾攻撃などは、遂行不可能か、あるいは、決行しても失敗確実な作戦だったのです。
アメリカは日本を完全に見くびっていました。この前まで、頭にちょんまげをのせていた民族です。黒船4隻でパニックに陥り、日露戦争で勝ったといってもイギリスの援助があればこそ、最近、新型の戦闘機を作ったらしいがエンジンは非力だし、そもそも、黄色人種で近眼な日本人に飛行機の操縦などできるわけがない。というのが、アメリカ人が日本人に対して持っていた一般的なイメージでした。
これほど大掛かりな軍事行動が、奇襲という形で成功したのは、アメリカが日本を見くびっていたからに他なりません。
写真を見て驚くのは、真珠湾の狭さです。この狭い湾内で魚雷攻撃を成功させたパイロットの技量は驚異的と云えます。かなりの低空から侵入したようで、雷撃機がビルの3階から見下ろせたという話も伝わっています。
真珠湾攻撃を描いた映画はいろいろとありますが、何と云っても、20世紀フォックスと東映による日米合作映画「トラ・トラ・トラ!」でしょう。
街にポスターが貼り出されていたのを、子ども心に覚えています。実際見たのは、少したってテレビで放映されたときでした。日米両国の視点で描かれていて、オタク的にはいろいろとツッコミ処もあるのでしょうが、余計な演出が無く、史実に最も近い作品だと思います。CGやVFXの無い時代、巨大な野外セットや本物の飛行機と大量の火薬を使って制作した映像は、実際の戦争により近いものと言えます。それにしても、自国の軍隊がボコボコにされる作品を、巨額な制作費を投じて作ってしまうんですから、アメリカって、懐が深いっていうか、たいした国だと思います。
真珠湾攻撃でよく批判されているこのが、第二次攻撃隊を出さなかったことです。日本の機動部隊は、奇襲には成功しますが、米空母を討ち漏らしてしまいます。また、石油タンクや修理ドックなどの港湾施設は、無傷のまま残してしまい、このことが、後々の戦局に大きく影響していったからです。
ただ、「二次攻撃隊を出してこれらを叩いていれば・・・」というのは、結果論にすぎません。真珠湾攻撃の目的は、あくまでも、敵主力艦と航空機の撃滅でした。港湾施設への攻撃も検討されたようですが、空母6隻、航空機350機という、限られた戦力の中で、中途半端な攻撃に終わってしまうことを危惧して、艦船と航空機に目標を絞っていました。ただ、奇襲が想定以上に上手くいったので、一次攻撃で、ほぼ目標を達成できてしまったのです。
で、ここで2つの選択肢があります。1つは、まだ余力もあるわけですから、二次攻撃を行って港湾施設を破壊する。もう1つは、戦力を温存して帰るかです。出張先で早々に仕事が片付いた時、サービス残業をすべきか否かって感じでしょうか。
第一次攻撃隊も、完全な奇襲になった第一波と比べて、その1時間後に攻撃を行った第二波は、未帰還率が12%で、被弾損傷率も50%にのぼっています。母艦に戻ってきたものの、再出撃できる状態に無い機体も数多くありました。
さらに、米軍は、混乱の中でも迎撃態勢を整えつつありました。破壊を免れた戦闘機を整備し、高射砲陣地を構築し、防空レーダーで監視しているわけです。第一次攻撃が順調にいったのは、米軍が油断していただけのことで、第二次攻撃を出せば、かなりの航空機が撃墜される恐れがありました。
さらに、ハワイ近海には、討ち漏らした米空母が存在していました。二次攻撃隊を出しているときに、空母からの反撃を受けたら、ミッドウェーどころか、真珠湾の時点で、日本の機動部隊は全滅していたかもしれもしれないのです。
目的を果たしたので、早々に帰還した。当然と云えば、当然の決断です。
米軍の損害ですが、戦艦については、旧式の船ばかりで戦略的には、それほどの喪失にはならなかったとされています。しかし、航空戦力の、3分の2を失い、戦死者2,345名、負傷者1,347名、要塞化され攻撃は不可能とされた真珠湾を奇襲され、ほとんど反撃できなかったという衝撃は、大きかったはずです。
アメリカは、工業力、技術力、知力、資源など、持てる全てを使って、日本との戦争に臨むことになり、結果として、無差別爆撃や原爆投下へとつながっていくわけです
一方、思わぬ戦果をあげた日本軍は、楽観的な考えが支配するようになります。戦線を実力以上に拡大し、太平洋戦争を局地戦から世界大戦へと変えてしまいました。もはや、早期停戦など不可能となり、相手の国家体制を崩壊させない限り、戦争を止めることはできなくなりました。
真珠湾攻撃は、明確な目標の下、綿密に計画され、準備された優れた作戦でした。しかし、その後の日本軍は、戦略の無い、場当たり的な作戦に終始することになっていきます。
アオシマの「蒼龍」です。
「蒼龍」は、1937年に竣工した中型の正規空母です。設計の段階から純粋な航空母艦として建造され、この後、建造された「飛龍」や「翔鶴」などは全て、この「蒼龍」を改良した艦になりますから、日本型航空母艦の原型と云えます。
新金型とのことですが、極小部品も無く、サクサクと組み上げることができました。作り応えという点では、ハセガワの「赤城」よりも劣りますが、艦載機が専用パーツになっていて、汎用パーツで省略されていた、零戦の増槽タング、九九艦爆の車輪と爆弾、九七艦攻の魚雷などが、別部品として取り付けるようになっていました。まあ、爆弾あっての爆撃機ですから、嬉しい限りです。
空母「赤城」との2ショットです。小さい方が「蒼龍」になります。プラモデルを作るまで、こんなに大きさが違うとは思いませんでした。
「蒼龍」は、同僚艦「飛龍」とともに 第二航戦隊として、真珠湾へ出撃しました。蒼龍の航空隊の内訳は次の通りです。
第一波 九七式艦攻18機(水平爆撃10機、雷撃8機)、零戦8機 全機帰還
第二波 九九式艦爆18機(未帰還機2機)、零戦9機(未帰還機3機)
攻撃隊が二波に分かれているのは、飛行甲板に一度に並べられる機体数に限りがあるからです。
プラモデルでは、12機並べています。軽くて助走距離が短くて済む戦闘機が前、攻撃機が後ろです。空母は全速力で風上に向かって航行し、航空機は、向かい風を利用して飛び立って行きます。
その後の蒼龍ですが、ウェーク島の攻略支援、南方攻略作戦に従事した後、インド洋へ進出し、セイロン沖海戦では、イギリス東洋艦隊に壊滅的打撃を与えています。
そして、真珠湾攻撃から半年後、ミッドウェー海戦において、急降下爆撃機の攻撃を受け、3発の爆弾が命中、格納庫内の爆撃機や魚雷が次々と誘爆して撃沈、1,100名余りの乗組員のうち、艦長以下718名が艦と運命を共にしたとありました。機関科部員がほぼ全員戦死している一方で、飛行機の搭乗員は多くが救助されており、格納庫の上と下とで、大きく運命が変わってしまったようです。
ずっと疑問に思っていたことがあります。それは、真珠湾を攻撃した目的が、アメリカの戦意を喪失させることにあった、と伝えられていることです。実際は、ご存知の通り、逆の結果になりました。その原因として、宣戦布告が遅れたからとか云われていますけど、では、攻撃の前に宣戦布告があって、機動部隊の喪失を恐れずに第2次、3次攻撃隊を繰り出して、完膚なきまで真珠湾を攻撃すれば、アメリカの戦意は喪失したのでしょうか。
確かに、アメリカは建国以来、一度も本土を攻撃されたことがありませんでしたから、真珠湾攻撃の後、国内はパニック状態になります。が、厭戦気分にはなっていません。彼らは、多民族国家で個人主義者ではありますが、やられてそのまま引き下がるような国民ではありませんでした。
だとすると、真珠湾を攻撃することでアメリカ国民の戦意を喪失させるという考えは、根本的に間違ってたということになります。
相手を見くびり、侮っていたのは、日本の方だったのかもしれません。
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