2017年6月13日火曜日

幻の枇杷(びわ)

 枇杷の季節になった。僕の住んでいる町には、家の庭先とか、畑の一角とか、公園の片隅とか、思わぬところに枇杷の木があって、たわわに実をつけている。枇杷の木は、実を食べた後の種を埋めておくなどすれば、実生で簡単に増やせるそうだから、そうやって増えていったのだろう。
 ただ、その実は、いわゆる「琵琶」の形をしている一般的な枇杷と違って、丸くて小さい。これは、「白枇杷」と呼ばれているもので、伊豆半島で栽培されていた品種だ。


 僕が生まれた村は、かつて「白枇杷」の栽培が盛んだった。今は、限られた農園でしか栽培されていないとのことだが、僕が子どもの頃は、村には「枇杷山」と呼ばれている果樹畑があちらこちらにあった。

 枇杷の収穫は短期決戦だ。枇杷山を所有しているのは、本家と呼ばれている、地主クラスの家だった。季節になると、村の女性たちは、枇杷山へ収穫の手伝いに行った。
 僕の祖母も、朝早くから日の暮れる頃まで、枇杷山で働いていた。そして、ザルいっぱいの枇杷を持って帰ってきた。たぶん、虫食いや傷みがあって市場に出せないやつをもらってきたんだと思う。今だったら、ジャムなどの加工用にまわすのだろうけど、当時は、そんなことを考えもしなかったのだろう。
 僕らは、ザルの周りに群がって枇杷を食べた。腹一杯、飯が食えなくなるくらい食べまくった。で、次の日になると、また、ザルいっぱいの枇杷を持ってきた。この季節は、村のどの家にも枇杷が置いてあって、食べ放題だった。冬、こたつに入って蜜柑を食べるような感覚で枇杷を食べていた。
 枇杷の実には渋があって、たくさん食べると、指先が茶色に染まった。この渋は、ちょっとやそっと手を洗っただけではとれなかったから、村の子どもたちは、この時期、みんな指先を茶色に染めていた。
 枇杷という果物が、高級で、腹一杯食べるようなものでは無いということを知ったのは、大人になってからである。

 幼いときの記憶ではあるが、枇杷山に遊びに行ったことがある。山には、収穫小屋(と云っても普通の平屋の一軒家くらいあったと思う)があって、枇杷の絵が描かれた紙を貼った木箱が積まれていたのを覚えている。
 枇杷山は、果樹園というよりは、自然林に近かった。枇杷の木は人々が植えたのであろうが、整然と並んでいるわけでは無くて、山をめぐり、高木に梯子をかけて、実を収穫していたように思う。

 「白枇杷」は、一般的な「茂木枇杷」などと比べて、実が丸く小さいのが特徴である。ところが、実が小さいのにかかわらず、種の大きさだけは他の枇杷と同じときている。ただでさえ、枇杷は食べる部分が少ないのに、白枇杷はさらに食べる部分が少ない。枇杷の可食率は65%程度と云われているが、白枇杷は50%も無いと思う。実が薄いので缶詰などに加工することもできない。さらに、白枇杷の実は柔らかく傷つきやすいので、長距離の輸送に耐えられないし、日持ちも極めて悪かった。
 そんな厄介な品種であるのにもかかわらず、白枇杷が珍重される理由は、その味の良さにあった。濃くて上品な甘さは、他品種とは別物と云えるほど美味しい。嘘では無いが、こればかりは実際に食べてもらわないと理解していただけないだろう。
 ただ、欠点が1つあった。白枇杷は、味のバラツキが極めて大きいのだ。もの凄く美味しい実があると思えば、ほとんど味のしないものもあって、それが、外見からは全く判別できないのである。まさにロシアンルーレット状態。白枇杷を食べていると、時々「うおー」という声が出る。これは、当たりを引いた時の、思わず発する至福の叫びだ。

 そんな枇杷の中に、比較的実が大きくて、いわゆる琵琶の形をしたものが混じっていることがあって、これは「ツクモ」と呼ばれていた。果肉は厚めで赤っぽく、味は大味で、可も無く不可も無くといったところだろうか。大人たちの話によると「田中枇杷」との交配によってできた雑種だという。この交配が人為的なものか、自然交配なのか、僕は知らない。が、みんなは、この「ツクモ」を蔑んでいた。村の人たちにとっては、「白枇杷」こそが枇杷であり、誇りだった。
 でも、僕は、この「ツクモ」が好きだった。肉厚で、何より、味にハズレが無いのが良かった。僕が「ツクモが好きだ」と云うと、変わり者あつかいされた。
 
 やがて、食生活が豊かになり、様々な果実が流通するようになって、枇杷の生産量は減少していく。収穫期間が短く、多くの人手を必要とし、デリケートな「白枇杷」は、市場に流通させるには、あまりにも不向きな品種だった。
 村では、枇杷を使って羊羹を作ったり、ワインを作ったりしたようだが、成功したという話は聞いていない。結局、生食以上のものなど有り得なかったのだろう。
 だが、最も深刻な問題は、村の急激な過疎化と高齢化だった。管理する人手の無い枇杷山は、次々と荒廃していった。

 今、伊豆の「白枇杷」は、生産量が極めて少なく、その全てが観光農園と特売所で消費されてしまうので、一般の市場に出てくることは無いという。「初夏の宝石」とか「幻の果実」とか云われているそうだ。観光農園の枇杷狩りは、40分で1500円だと聞いた。
 「以前は枇杷を腹一杯食べたものだ」なんていう話は、完全な昔話になった。もっとも、今ではそんな話をする者もいないだろうし、聞いてくれる者もいないだろう。


 実は、ここだけの話、現在「白枇杷」として売られている品の中には、かなりの比率で「ツクモ」が入っている。恐らく、純粋な白枇杷だけでは、出荷量を確保できないのだろう。でも、これを偽装表示だとか詐欺だとか云う気は無い。「ツクモ」だって僕の故郷が誇る枇杷に変わりないからだ。

 ただ、年寄りたちが生きていれば、何と云うだろうか。

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