僕ぐらいの年代だと、左利きは矯正されることが多かった。だから、左利きと云いながらも、お箸は右で、なんて奴が多い。だけど僕は、日常生活のほとんど全てを左手で賄う、生粋の左利きである。
昔は、左利きというのは、それだけで恥ずかしいことだったし、「ギッチョ」と云われて馬鹿にもされた。女の子だったら、お嫁に行けないなんて本気で思われていた。だから、親たちは必死で矯正した。利き手の矯正というのは、生易しいものではない。それを可能にしていたのは、「これじゃあ恥ずかしくって他人様の前に出られない」と云う世間体に対する危機感と、「我が子が虐められたら可哀相」と云う親心である。僕の親も、僕が幼いときに矯正しようとしたらしい。だけど、僕は、吃音(どもり)もあった。今でも、肝心なときに言葉が出てこない時がある。吃音の原因が利き手の矯正にあると考えた僕の親は、矯正を諦めたらしい。おかげで僕は、生粋の左利きとして育つことができた。
僕が左手で仕事をしていると、周りの人たちは、「よくそれでできるね。」って言う。傍から見ると異な感じに見えるらしい。実は、それは僕も同じで、左利きの奴が何かをしているのを見ると、自分が左利きであるのにも関わらず、見ているだけでイライラしてくる。
就職して間もなくの頃、ある研修会で、会議室の机をロの字に並べて、皆で食事をとっていたのだが、目の前に座っている女の子がどうも気になるのである。で、よくよく見たら、その子は左手で箸を持って弁当を食べていた。僕と同年代で、左手で箸を持つ女の子というのは、極めて珍しかったので、ついついジロジロと見てしまったことを覚えている。まあ、そういう僕も、左手で箸を持っていたわけだから、向こうもイライラしながらこっちを見ていたのかもしれない。
でも、その時は、何となくその子が可愛く見えてきた。違和感が上手い具合にチャームポイントになったってことだろうか。
最近は、堂々と左を使うタレントも多くなってきたように思う。自らが左利きであることをアピールするアイドルなんかもいるようだ。CMで云うと、小栗旬なんて左手で箸を持って美味しそうにお茶漬けを食べてるし、瀬戸朝香も左手でペンを持っている。
左でペンを持つと云うと、歴代のアメリカ大統領が有名だ。僕は、ロナルド・レーガンが、何かの条約の調印式で、左手でサインをしているのを見て驚いた。あの年代の人が左で字を書くなんて、日本では有り得ないことだからだ。やっぱりアメリカは違うと感心したものだ。そしたら、次のパパ・ブッシュも左利きだった。次のクリントンもだ。息子のほうのブッシュは右利きだったけど、現大統領のオバマも左利きである。アメリカでは、過去5人の大統領のうち4人が左利きだということになる。
だからと云って、左利きには特殊な能力があって、大統領に向いているなんて学説は信じない。僕も、よく周りから、「左利きは器用だよね」なんて云われるけど、そんなことはない。左利きにだって器用な奴もいれば不器用な奴もいる。
実は、僕は、字を書くことだけは、右手を使っていた。これだけは、矯正されていた。だから、僕は字を書くことが大嫌いだった。上手く書けてないその字を見るだけでもイヤだった。僕は、授業中も全くノートをとらなかったし、漢字の書き取りなんか絶対やらなかった。宿題で漢字を書くくらいなら、先生に叱られた方がマシだった。だから僕は今でも漢字が書けない。もしワープロという機械がなければ、僕は平仮名だらけの文章を書いているはずだ。
ところが、大学2年のある日、僕は、何となくペンを左で持ってみた。で、何の気なしに字を書いた。そしたら書けたのである。今まで一度も左手で字なんか書いたことがなかったのに、普通に書けたのである。今でも、その時のことは鮮明に覚えてる。西洋思想史の講義を受けているときだった。以来、僕は、左手で字を書くようになった。
よく、左で書くと鏡文字になるっていうが、必ずそうなるわけではない。鏡文字になるのは、字を手の動きとして覚えている奴で、字を形として覚えている奴は、どっちの手で書いても鏡になることは無い。
ただ、人間の腕は、内側から外側へ動かす方が楽なようにできているので、左手で鏡文字にならず、尚且つ窮屈な思いをしないで字を書くには、ちょっとした工夫が要る。
1つは、腕を前に出して手首を曲げて書く、いわゆる「引っかけ書き」と云うやり方だ。先日行った、家電のコジマのお兄ちゃんは、このやり方で契約書を書いていた。実は、オバマ大統領もこのやり方だから、どこの国でも左利きの考えることは同じらしい。
もう1つは、紙を90度傾けて書くやり方である。僕は、こっち派だ。だけど、左手を使っていても、普通に書いている人も多いから、まあ、人それぞれということではある。
世の中は、右利きに合わせてできているらしい。「らしい」というのは、生まれたときから左利きの自分にとっては、世の中とはこういうものだと思っているから、それを不便と感じることが難しいからだ。
でも、駅の自動改札で、カードをタッチする時には腕がクロスするし、自動販売機にお金を入れる時も腕がクロスする。取っ手付きの急須や注ぎ口が付いているオタマとか、確かに右手で操作すれば使い易そうだが、だから直そうと云うことにはならない。試しに右でやってみたりするが、そっちの方がよっぽど上手くできないからだ。不便だからなんていう理由で直せるんだったら、世の中に左利きなんて、あっという間にいなくなる。
腕時計をしている頃は、左手で竜頭を巻くために右腕にしていた。でも、右腕にすると何となく使いずらかったから、女性みたいに腕の内側にしていた。そうすると、左腕の外側から右腕の内側へ平行移動するかたちになって、しっくりきたからだ。でも、これはかなり特殊なつけ方だと思う。もう何年も生きているが、腕時計を右腕の内側につけている男性には、未だ出会ったことが無い。
野球のグローブでは、親指を入れる穴の方へ、4本の指を突っ込んで使っていた。裁ちバサミもそうだ。ただ、ハサミは、それだけでは上手く切れない。左手にハサミを持つと紙の切断面が上の刃の影になってしまい、切りにくいからだ。だから、左利きは、ハサミの外側から切断面を見て切っている。
今は、親切な世の中になったので、左利き用のハサミが売っている。僕も面白がって買ってくるのだが、外側から切断面を見る癖がついているので、上手く使えない。で、1回使っただけで、机の引き出しにしまうことになる。でも、何年かすると、そのことを忘れて、また買ってきてしまう。で、「あっ、そうだった」と気がつく。だから僕の机の引き出しには、1回しか使っていない左利き用のハサミが、いくつも入っている。
パソコンのマウスのボタンも左利き用に設定できるのだが、かえって使いにくい。僕は、右クリックも左クリックも、どっちも左手の人差し指でやっている。共用のパソコンを使う時は、マウスを左側に引っ張って使っているので、次の人にすぐバレてしまう。
定規で線を引くときは、0cmからでなく30cmの方から線を引く。12cmの線を引きたいときは、30cmから18cmのところまで引く。でも、「だから左利きは引き算が得意なんだね。」なんていう、おだてにのったりはしない。
1つ1つ挙げていくとキリが無い。
左利きは、裏返しの世界で生きている。子どもの時に「お箸を持つ方が右だよ」なんて教わっても、「えーっと、僕は左利きだから、それって、お箸を持っていない方のことなんだよね」って複雑な思考処理を要求され続けてきたので、左右に敏感になっている。で、結果として、パニックを起こしやすい傾向がある。信じてもらえないかも知れないが、とっさに右と左が分からなくなってしまうのである。
だから、車の助手席に座っていてナビをする時も、右折なのに左折って言ってしまったりする。家族は慣れたものなので、「あなたが左って言うってことは、右のことなんだよね」なんて勝手に修正してくる。こうなってくると、もう何が何だか分からない。だから、「こっち」って言って指で示している。まあ、最初からこうすれば良かっただけの話ではある。
左利きに生まれて、「もしかしたら不便なのかも」って思ったことはあるが、「右利きに生まれたかった」と思ったことは一度もない。子どもの頃も「みんなと少し違う俺って、ちょっと格好いいかも」って思っていた。こういうのを「厨二病」というのだそうだ。そして、僕の厨二病は、未だに治っていないようだ。
もし、ここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、感謝申し上げますw
せっかくですから、お終いに動画を1つ。
僕、この曲、大大大大嫌いでした。左利きで、そう云う奴、多いと思う。
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