「100回のKISS」は、松浦亜弥さんの4番目のシングル曲です。「LOVE涙色」と「桃色片想い」の両ヒット曲の間、彼女の絶頂期にリリースされたにもかかわらず、世間の知名度はイマイチ。YouTubeにおけるPVの再生回数も、「桃色」や「めっちゃ」が400万回を越えているのに対して、いまだに80万回にも届いていません。
そんな「100KISS」が、彼女の真の代表曲とされているのは、様々なスタンスをとる彼女の幅広いファンから等しく指示され、また、彼女自身も、デビュー前から2013年のマニアックライブまで、歌い続けてきたという楽曲だからです。
再生リストは、PVを除くと、10本のライブテイクが年齢順に並んでいます。
まずは、デビュー前、「あやや」のファーストステージとされているテイクです。彼女を語る上で、このテイクから始めることには、ご異論は無いかと思います。
マニアックライブ4番のMCで、松浦亜弥さん自身がこのステージについて語っているところがあります。急に出演が決まったので私服で出たとか、歌い終わった後、楽屋で大泣きしたとかです。
そう云われれば、着ている服は、ステージ衣装にしては、あまりにも地味ですし、髪の毛などは、とりあえず縛って、それなりに見えるようにしただけのように思えます。
ただ、出演したとされる「Hello! Project 2001 すごいぞ!21世紀」は、単発のイベントでは無く、「中野サンプラザ」「大阪厚生年金会館」「名古屋センチュリーホール」の3会場で8日間、のべ20公演行われたコンサートツアーです。中野の公演は、2001年の1月2日から6日までとなっているんですけど、ファーストステージってこの中のどこになるんでしょうか。
他にも、初日の公演からセットリストの中に組み込まれていたのかとか、2月に行われた大阪や名古屋の公演にも出演していたのかとか、いろいろと疑問が出てきます。まあ、当時のハロプロファンの方のお話を聞くことができれば解決することではありますが、全てが遠い過去のできごとになるについて、当時の事情を知る方からの証言を得ることが難しくなってきております。
そもそも、急遽出演が決まったとか、未だ2番の歌詞ができていなかったと云われているのに、楽曲のオケが会場に用意してあるというのも不思議な話です。
もしかしたら、いきなり歌わされたというのは、本人の感覚だけで、裏では、既に大人たちが準備を進めていたように思えてなりません。
まあ、確実に云えることは、つんく♂氏の気まぐれの一言で即決定されるほどに、彼が絶対的な権限を持っていたと云うことと、松浦亜弥が破格の特別扱いをされるほどに、お気に入りであったと云うことでしょうか。
2001年というのは、ハロプロの絶頂期。しかし、単独ライブじゃないとは云え、4日間で10公演ってすごいですね。公演開始が12:00、15:30、19:00とありました。こんなことしていて体とか壊さないかと心配になります。まあ、大箱でまとめて1回なんて云う最近のやり方より、こんな風に中規模のホールで数多くやってくれた方が、ファンとしては嬉しいことだったと思います。
歌唱に関して云えば、鼻に抜けるような上滑りの歌い方が気にはなります。評価すべき点としては、彼女のステージ度胸でしょうか。極度の緊張感の中でもほとんどピッチを崩ずに歌いきれているのは、歌唱における彼女の地力の強さを物語っています。
特筆するような歌唱ではないにせよ、歌手「松浦亜弥」を語るに、このようなテイクが残されていることは、貴重で有り嬉しいことです。
ただ、動画のコメント欄には、絶賛の言葉が並んでおりますが、これは、松浦亜弥さんが、この後に国民的アイドルへと成長したことを分かっての話です。ハロプロのライブコンサートの中盤で、いきなり出てきた子が、こんな地味な格好で、こんな地味な歌を歌ったところで、当時のハロプロファンにどのくらいのインパクトを与えられたかは疑問です。
このテイクは、期待の大型新人のお披露目にしては、あまりにも無計画に思えます。ってことは、つんく♂氏の気まぐれでいきなりステージに上げられたというのは、やはり本当のことかもしれません。
上京してきた松浦亜弥をレコーディングスタジオで歌わせたとき、「橋本慎」氏と「つんく♂」氏が「これで俺たち5年は食える」と抱き合ったというのは有名な話です。僕は、この話を読んだとき、松浦亜弥ほどの逸材に対してたった5年とは何事か、と思いましたが、考えてみれば全くその通りになったわけで、ハロプロ斜陽の元凶としてファンから槍玉にあげられる両氏ですが、先見の明は確かにあったことになります。
次回からは、松浦亜弥さんの「100回のKISS」13年の歩みを、のんびりと振り返っていこうかと思います。
3 件のコメント:
待ってました!久々の亜弥さんネタ。
デビュー前ですからレッスンは受けていたにしても「あやや」誕生前。素の松浦亜弥が見られる貴重なテイクですね。
亜弥さんはこれでも緊張しまくっていたそうですけど、見たところ「別に、別に、別に」という感じで、ピンでやっていける子はやっぱり最初から違うなと感心します。
この歴史的テイクの後、亜弥さんは楽屋で号泣したそうですが、つんく♂氏はどや顔で「ほれ見てみぃ、わしの目に狂いはない」みたいなこと周囲に言ってそうだし、同じステージに立っていた諸先輩は「ヤバッ!」と思ったでしょう。
目ざといヲタさんはこの瞬間に推しを決め、日の出の勢いで駆け上がっていく「あやや」を追う熱狂の数年が始まったかもしれません。
思えば亜弥さんのテイクには妄想ストーリーが膨らむ歴史的瞬間がたくさんありますね。レジェンドのレジェンドたるゆえんかもしれません。
すみません。匿名になっちゃいました。アヤまるです。
そうですね。
この時、一番満足していたのは、つんく♂氏だったと思います。
でも、なんか自己満足に近いっていうか・・・。
リアルタイムで見ていたハロオタさんたちは、
「何?何?」って感じだったように思えてなりません。
後になって「あの時の女の子って、松浦亜弥だったんだ!」
なんてこともあったんじゃないかって思いますw
つんく♂氏って、どうもオタク心理を突けていないところがあるんですよね。
分かるヤツだけ相手にしてやるって感じに思えてしまいます。
でも、結果的に売れっ子になったから、これで正解だったのかな。
コメントを投稿