2016年8月31日水曜日

歌って踊ろう! MMDペアダンス動画の傑作 「愛Dee」

  「愛Dee」は、2012年6月に投稿された、初音ミク&巡音ルカのオリジナル曲です。作詞作曲は「Mitchie M」さん。間奏で披露される巡音ルカの英語のラップが秀逸な、90年代サウンド全開の楽曲です。
 1年前の武道館ライブでも演奏されるなど、ボカロファンには、広く知られているんですが、この曲の最大の特徴は、何と云っても、たくさんの歌ってみた動画と踊ってみた動画が存在することだと思います。
 
 と、云うことで、今回もCGキャラクターたちに踊り競ってもらうことにしました。本来ならここで人間の女の子にお手本を披露してもらうところなんですけど、「愛Dee」の振り付けは、人間用とMMD用で異なっておりまして、人間用の振り付けは、僕的には、ちょっとイマイチな感があるものですから、今回は、MMD動画のみの紹介とさせていただきますw

 では早速、1組目は、「艦これ」から、「島風&雪風」ペアです。歌は、初音ミクによるオリジナル版になります。


 僕は、3DタイプのCGは、マネキンが動いているみたいに見えてしまうんで、あまり好きでないのですが、艦娘らしく、ちゃんと艤装をつけて踊っているところを高く評価させていただきました。  
 「雪風」のキャラクターと初音ミクの歌声が合っていて、なかなか良い感じにできていると思います。2体の振り付けが、上手い具合に異なっていて、ホントに良くできている振り付けだと思います。踊ってみた動画の人間の皆さんも、是非ともこの振り付けで踊っていただきたいものです。

 2組目は、「IA&結月」ペアになります。歌を「IA」ちゃん自ら歌っているというところを評価させていただきました。


 確認しておきますが、向かって右側がIAちゃんになります。いつもながら、歌は上手いし、可愛いし、完璧なボーカロイドだと思います。
 初音ミクのオリジナル版と比べて、歌がイマイチな感じを持つ方もいらっしゃると思いますけど、オリジナル版を手掛けている「Mitchie M」さんの調教は、人間が歌っているんじゃないのかって思いたくなるほど神懸かっているんですよね。このIAちゃんのテイクの方は、調教なしのベタ打ちに近いんじゃないかと思います。調教なしでこれだけ歌えるというのは、かなりの歌唱力です。結月のラップパートもなかなか良くできていて、カバー作品の中でもかなりの力作だと思います。
 
 3組目は、再び「艦これ」から、「島風&天津風」ペアの登場です。歌は、人間が歌っているようです。


 凄いカメラワークですね。目が回ってしまいそうなんですけど、カメラの動きと楽曲が見事にリンクしています。制作者さんは、かなりのセンスの持ち主とお見受け致しました。

 では最後に御本家「初音ミク」に登場してもらいましょう。初音ミクが歌って、初音ミクがダンスするという、正統派の動画になります。ちょっと、ミクたちのスカートが短くて、パンツが見えちゃってますけど、誓って言いますが、それが選んだ理由ではありません。あくまでも、ダンスが可愛かったからですので、誤解の無きようw


2016年8月27日土曜日

「小さい逃亡者」 ~ギャオスを吹き飛ばした日ソ合作映画~

 僕は、とある半島の、とある漁村で生まれました。今では、少子高齢化が進む典型的な過疎の村ですが、僕がいた頃は、近所に同級生が何人もいました。 
 村には演芸館があって、映画も上映してました。1軒だけの映画館ですから、子ども向けの怪獣映画を上映していたかと思うと、次の週には成人映画を上映するようなところでした。

 村にゴジラの映画が来たときには、村中の子供たちが映画館に集まりました。

  第1作目のゴジラが作られた頃は、僕は生まれてませんでしたけど、演芸館では「ゴジラの息子」とかを見たと思います。「大魔神」も来ていましたが、怖そうなので見にいきませんでした。田舎の映画館でしたから、古い怪獣映画も同時上映していたみたいで、さらにテレビで見たのとごちゃ混ぜになっていて、映画の制作時期と見た記憶が一致しない部分も多いんです。

 で、僕が幼い日に、その演芸館で見た、とても印象深い映画がありました。たしか「小さな逃亡者」というタイトルだったと思います。「母を訪ねて三千里」みたいに少年が親を探して旅をする映画でした。言葉も分からない異国を放浪していました。それから、少年は、サーカスでバイオリンを弾いていました。拾われたさきで、自分がどんな旅をしてきたのかを砂浜に絵を描いて説明する場面が印象的でした。「言葉が分からないから、絵で教えているんだよ」って隣で母が説明してくれたのを覚えていますから、演芸館へは、母に連れていってもらったのだと思います。
 
 時々、その映画のことが気になって、その度に調べてみたのですが、全く手掛かりがありませんでした。アメリカ映画に「小さな逃亡者」っていうのがあるのですが、どうも違う映画のようです。そんなこんなで、ずっと分からないままでした。

 で、先日、「シン・ゴジラ」の記事を書くにあたって、昔の怪獣映画について調べていたんですけど、大映が1967年に制作した「ガメラ対ギャオス」の同時上映作品に「小さい逃亡者」というのがあったことを見つけたんです。
 「小さな」でなくって「小さい」だったんですよ。「小さい逃亡者」。日本と旧ソビエト連邦との合作映画だそうです。あらすじを調べてみましたけど、間違いありません。


 さすがYouTubeですね。ロシア語版ですけど、ほぼ全編の動画がアップされていました。砂に絵を描くシーンが、ちゃんと58分30秒にありましたよ。


 当然のことですけど、コメント欄はロシア語だらけです。たぶん僕が演芸館で見たのは、吹き替え版だったのでしょうね。改めて、あらすじを読んでみると、ナルホドそういうストーリーだったのかと思ったりしてw 

 DVDにもなっていないようですが、今でも、たまーにBSやCSで放送されたり、有志の方たちが鑑賞会を開いたりしているようです。
 
 しかし、「ガメラ対ギャオス」の同時上映作品であったとは驚きました。「ガメラ対ギャオス」は、もちろん知っていますが、不思議なことに、この時に一緒に見たという記憶がありません。「小さい逃亡者」は、単独で見たとばかり思っていたんです。
 怪獣映画の大傑作といわれる「ガメラ対ギャオス」が吹き飛んでしまうくらい、「小さい逃亡者」の印象が強かったのでしょうか。
 まあ、日本側の俳優陣も豪華ですし、旧ソビエト連邦で撮影された映像も評価が高くって、知る人ぞ知る名画であることは確かなようです。

 1966年という冷戦真っ只中の時代に制作されたこと、登場するロシア人が皆さん親切で良い人ばかりであること、政治絡みの裏の事情などなど、今となっては、ツッコミどころも満載のようです。
 確かにストーリーは、わざとらしいほどに、できすぎているんですが、かといって、単なる子ども向け、子どもだましの作品とも思えません。「こんなのあり得ねーだろー」なんていうツッコミを入れることなく、純粋に物語を楽しむことができた、昭和という時代ならではの作品なんでしょう。

 もしかしたら、あの時、ギャオスは、見なかったのかも知れません。そんな気がしてきました。母は、僕に「小さい逃亡者」を見せるために、演芸館へ連れて行ったのではないかと・・・。

2016年8月3日水曜日

「シン・ゴジラ」劇場公開によせて

 「シン・ゴジラ」見てきました。映画については、早速、ゴジラマニアの方々が、それぞれのブログなどで書きまくっていますから、深く考えたい方は、そちらを見てもらうこととして、こちらは、ライトな感覚で書いていきたいと思います。一応、ネタバレ注意と云うことでw
 
 映画館は「ポケモン」とか「ワン・ピース」とか「ファインディング・ドリー」を見に来た子供たちで賑やかでした。「ゴジラ」の観客の入りは、そこそこでしょうか。年齢層は、予想通り高め、ほとんど中年世代でした。子どもの時に「ゴジラ対メカゴジラ」などを喜んで見ていただろうなって人たちです。
 作品は、ゴジラ世代の期待に100%沿ったとは言い難いものでしたけど、この辺は見に来た人たちも想定の範囲内だったと思います。まあ、初代ゴジラをリブートする限り、結局こうなるだろうなってことです。
 僕の感想は、ひと言で云うと、他人には薦めませんが、それなりに面白かったです。

 制作スタッフは、総監督「庵野秀明」氏、監督「樋口真嗣」氏だそうです。映画の中の決めぜりふの1つに「アメリカでは大統領が決めるけど、この国は誰が決めるの?」って云うのがあったんですけど、制作委員会制をとらなかったのは、全ては庵野秀明氏が決めるってことでしょうか。ですから、作品全体には「エヴァンゲリオン」っぽさが溢れていました。「ヤシマ作戦」でなくって「ヤシオリ作戦」でしたし、ゴジラが立ち上がったところなんて、「エヴァ」そのものでしたから。「自衛隊VSゴジラ」の場面は、「戦略自衛隊VS使徒」と同じです。鉄道オタクが喜びそうな場面もありました。戦闘シーンは良くできていましたけど、特撮娯楽映画としては、もう少し長くあって欲しかったかなって感じです。

 作品の95%は、官僚と政治家の場面でした。あと、ゴジラが暴れている場面が5%。一般民衆の描写は、ほとんど無かったと思います。別な映画で「事件は会議室で起こっているんじゃない」て台詞がありましたけど、こちらは事件を会議と書類で解決しようとしてました。アメリカ映画によくある「愛する人を守るために戦う」なんて描写は皆無でした。どこかのコメントに日本にゴジラが現れた場合のシュミレーション映画だというのがありましたけど、その通りだと思います。

 予告編がありました。「百読は一見にしかず」ですから宜しかったらどうぞ。



 熱戦を吐く場面が紹介されてないのが残念ですけど、映画の雰囲気は、このまんまでしたよ。女性防衛大臣は新都知事そのままですねw
 
 会議の部分が長かったので、映画全体の印象は、地味でしたかね。ラストのゴジラ凍結に成功したシーンは、すごく淡々としていました。アメリカ映画だったら大騒ぎしてみんなでハイタッチでしょうけど、日本的と云うか妙に面白かったです。
 でも、お互いノーガードでガンガン攻撃し合う場面がもっとあっても、と中年のゴジラ世代は思ったかもしれません。似たような映画に「インディペンデンス・デイ」ってのがありますけど、あっちの方が、撃ちまくって、壊しまくって、躊躇なく核ミサイルぶっ放して、大統領自ら戦闘機に乗って、最後に正義は勝つ、という爽快感は味わえると思います。

 僕が物心ついた時には、すでにゴジラは悪の怪獣と闘う正義の味方でしたけど、どことなく醸し出される哀しさは子ども心にも感じてました。純粋な正義の味方、地球の守り神と設定されたガメラとは、どこか違っていました。

 ゴジラが最初に作られたのは、1954年です。ビキニ環礁の水爆実験で第五福竜丸が被爆したのはその8ヶ月前。太平洋戦争が終わったのが1945年ですから、原爆を落とされてから9年しか経ってないころです。
 ゴジラが反核の象徴とまでは云いませんけど、少なくとも単純な悪役ではありませんでした。ゴジラを生み出したのは、核兵器であり、放射線廃棄物であり、そして人間でした。ゴジラは、核を手に入れた人類が負った天罰であるという思いが、ゴジラに畏怖の念を持たせていたと思います。

 僕が子どもの頃に見たゴジラは、すでに正義の味方でしたけど、「放射能火炎」を吐く度に、あんなに撒き散らして大丈夫なのかなって、心配してました。シン・ゴジラでは、「被爆許容量」とか「μ㏜」なんていう台詞が飛び交っていて、この辺をリアルに描写していましたよ。
 ゴジラは凍結されたとはいえ、都内のど真ん中に残っているわけで、ゴジラをそして核を人類はコントロールできるのかと訴えかけて、映画は終わります。地震大国でありながら原発と共存せざるをえない日本の姿を暗示しているかのようにも思えました。

 「シン・ゴジラ」は日本でしかウケない映画だと思いました。
 「ゴジラ」は日本人にしか作れない映画だと思いました。

 最後に、ゴジラの熱戦について、それは無いだろうって場面がありますけど、万が一これから見に行く方のために、これだけは伏せて起きましょうかw