2022年6月5日日曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の舞台を巡る その4 ~「北条氏邸跡」「願成就院」~

「鎌倉殿の13人」第21話では、久しぶりに伊豆が舞台となりました。奥州合戦をあっさり済ませる一方で、韮山の「願成就院」は丁寧に描いてくれて嬉しい限り。住職役にベテラン声優の「緒方賢一」さんを起用したり、「相島一之」さん演じる運慶のキャラもしっかり立っていて話題性にも事欠きません。

さらに、八重姫=阿波局という大胆な仮説で物語を進めてきて、こういう演出で八重姫伝説に着地させてくるとは恐れ入りました。これで、眞珠院の「梯子の御供え」も面目が立つでしょう。


では、最近整備された「北条の里」駐車場(無料)に車を止めて散策を始めます。ここを起点に、史跡巡りをしながら守山の麓をぐるりと1周する道がありますので歩いてみましょう。


駐車場に隣接している素敵な佇まいの寺院が、2代将軍「源頼家」ゆかりの「光照寺」です。頼家病相の面が奉納されているとのことですが、拝観寺院ではありませんので観ることはできません。

狩野川に向かって歩いていくと、右側の草原が、室町時代の史跡「伝堀越御所跡」。堀越公方「足利政知」と「茶々丸」の本拠地であります。左の道を入ったところにあるのが「政子産湯の井戸」。写真でお分かりの通り、典型的なガッカリ観光地です。その西側に隣接する草原が「北条氏邸跡」で、立派な説明板ができていました。今は、ただの草原ですが、史跡公園として整備する計画もあるようです。

伊豆の国市の公式チャンネルの紹介動画です。公開から3ヶ月で視聴回数38回とありました。応援しましょう。 


発掘調査では、鎌倉時代前期の館跡や中国陶磁器などが見つかったそうです。館が使われていたのは3代執権「北条泰時」の時代までだそうで、その後の北条氏は出身地である伊豆との関わりは無くなってしまったようです。

鎌倉幕府が滅亡した後、執権「北条高時」の生母「円成尼」が、生き残った一族の女性たちと、館の跡地に寺を建てました。これが「円成寺」の始まりとされています。守山の北麓に、「北条氏邸跡」「円成寺跡」「堀越御所跡」という平安末期、室町前期、戦国時代の3つの史跡が重なっているわけです。


狩野川の堤防には、見事な桜並木があります。ここの桜は、今流行の河津桜ではなく、ソメイヨシノであります。昔からある桜並木で、だいぶ老木になりましたけど、まだまだ元気。桜が咲く頃には、河川敷が駐車場に解放されて、地元の人たちで賑わいます。

狩野川の向こうが「江間」です。北条(江間)義時の屋敷があったところで、大河ドラマでは、ガッキーさんが住んでいましたね。舟で川を渡るシーンもありました。

堤防に沿って南に進むと、八重姫ゆかりの「眞珠院」。そこから守山の麓をまわり込んで北へ向かうと「願成就院」を経て、駐車場に戻ることができます。

過去ログへのリンクです。お時間があれば。

「鎌倉殿の13人」の舞台を巡る その1 ~「眞珠院」「北條寺」~

「願成就院」は何度かお参りさせていただいているので、今回はスルーさせていただきました。吾妻鏡によると、北条時政が1189年に奥州合戦の戦勝を祈願して建立したとありますが、仏像に納められていた銘札には、造仏を始めたのが1186年と書かれておりますので、戦勝祈願というのは後から付けた話のようです。時政は、平家が滅亡した1185年に京都守護として上京しているので、その時に新進気鋭の天才仏師「運慶」と知り合い、北条一族の氏寺のために仏像の発注をしたのかもしれません。


その後、北条氏の勢力が大きくなるにつれて寺域も広がり、大きな池を配する浄土様式の寺院になったようです。寺院は、戦国時代の戦乱などで焼けてしまいましたが、運慶作の仏像は、今日へと伝えられました。現在は、耐火建築の収蔵庫を兼ねた大御堂に祀られています。

こちらが、老住職に書いていただいた御朱印であります。今のは、もっと映える朱印に変わったようです。御朱印代は300円が相場ですが、願成就院は、当時からチョットお高めの400円。拝観をお願いすると、仏像について簡単に説明してくれて、あとは、ご自由にどうぞとなって、触れるくらいまで近づくことができました。正面に阿弥陀如来坐像、右に毘沙門天立像、左に不動明王と2躯の童子像が並びます。運慶作を自称する仏像は、日本に数え切れないほどありますが、正式に認定された像は、数えるほどしかありません。願成就院の諸仏は、運慶三十歳代の作で、2013年に国宝に指定されております。

大河ドラマでは、仏像は、京で粗方造ってきて、現地で仕上げるみたいなことを云ってました。仏像はどこで造られたのか、運慶自身は伊豆に来たのかとかは、「運慶の下向・非下向問題」として学会でも論争になっていますが、地元民としては、運慶さんには是非とも下向していただきたいところであります。半丈六や等身大の仏像群を運ぶなんて、物騒だし大変なこと。台座とか光背もとなると、仏師が現地にやってきて造った方が理にかなっていると思います。

実は、初めて願成就院の運慶仏を見たとき、正直言って、嘘っぽ・・・斬新過ぎると思いました。阿弥陀さんは兎も角、毘沙門天と不動明王は、どう見ても鎌倉時代の仏像には思えませんでした。両像は、江戸時代の修復によって綺麗に漆が塗られていて、まるで現代のブロンズ像のよう、でも、それ以上に感じたのは、両像の独特な造形でした。まるで、ディズニーや手塚治虫氏の漫画から飛び出てきたみたいで、あまりにも現代っぽく感じました。恐れ多くて誰も云わないみたいですけど、制吒迦童子なんて、白雪姫の七人の小人に見えてしまいます。

不動明王の「天地眼」や「牙上下出相」などの儀軌を完無視したシュールな造仏などは、都だったら貴族たちから嘲笑されたでしょう。運慶も、東国武士の無知につけ込・・・信仰心を利用して、実験的な試みをしたのかもしれません。

毘沙門天のクールな様式は、運慶が勇猛な鎌倉武士と出会うことで生まれたとする考え方がありますが、どうでしょうかね。左手を前に、右肘を横に突き出すことによって、より立体的に空間を作り出しているところなどは、これぞ運慶仏に思います。この格好良さは、現代にも、そして海外にも通用するでしょう。2017年に東博で開催された興福寺主催の展覧会「運慶」にも出品されて、なんと図録のウラ表紙に採用されております。(ちなみにオモテ表紙は無著像、興福寺主催ですから)ディズニー的には、バズライトイヤーってところでしょうか。

阿弥陀如来座像は、螺髪や指などに破損があり、特に顔は彫り直しがされているとのことで、面相の違和感は致し方ありませんが、毘沙門天のように分厚く漆を塗っていないので、古さは実感できます。ドラマでは、出来たての金ピカになっていましたね。NHKの美術さん渾身の作品に思います。これは是非とも伊豆の国市で譲り受けて、大河ドラマ館に展示すべきでしょう。


こちらが、本物の阿弥陀さんです。両手を前に組む説法印が特徴であります。やはり、前に突き出すことによって、空間を作っています。NHK仏と比べて思うことは、衣の彫りの深さと胸板の分厚さでしょうか。まるで力士の体型で、現役時代の貴乃花関のようです。

同時代の仏師「快慶」の阿弥陀立像が「安阿弥様」として後世のお手本となったのに対して、運慶の様式が継承されることはありませんでした。鎌倉時代に於いても、運慶の仏像というのは、唯一無二で、真似した途端にチープになってしまう特別な存在だったのでしょう。

東国武士からすれば、都の有名仏師が、殺生を生業とする自分たちを極楽浄土に導いてくれる仏様を造ってくれるというだけで有り難かったはず。願成就院の仏像は、どうやら御家人の間でも話題になったようで、時政のライバル「和田義盛」が全く同じ仏像セットを運慶工房に発注しております。(子供みたいですね)こちらは、現在、横須賀の「浄楽寺」に収蔵されていて、何年か前に予約拝観をさせていただきました。拝観料は志納で、奥様に収蔵庫を開けていただいた記憶があります。様式は瓜二つでありますが、彫りは簡素化されていて、少し温和しい印象がありました。このころは運慶もたくさんの注文を抱えて忙しくなってきたので、運慶の監修の元、弟子たちが中心となって造仏したのではないかと云われております。当時は「和田義盛」とか云われてもピンときませんでしたが、ドラマを視聴して鎌倉武士にも少し詳しくなりましたので、三浦半島の寺院を再訪してみたくなりました。

現在、願成就院は、国際結婚をされた娘さん(副住職)夫婦が、やりくりをされています。寺の番犬、秋田犬のロッキー君が人気とのこと。仏像は撮影禁止ですから、皆さん犬を撮って来訪の証としてSNSにアップしているようです。犬だけなら拝観料はかかかりませんが、御朱印は受け付けていただけないようです。

聞くところによると、拝観料も御朱印代も値上げされて、コロナ禍の影響でしょうか、仏像にも近づけなくなり、拝観時間を制限されたりと、ネットでの評判が芳しくありません。大御堂の耐震工事とか、阿弥陀さんの光背や台座を新調したりとか、まあ、値上げは致し方ないとしても、以前のようにノンビリ拝観できるようになって欲しいものです。