2018年6月30日土曜日

まだ戦後は終わっていないと云う沖縄の地で、「島唄」を歌う「丸山純奈」が、あまりにも無邪気だった話

四国最大のロックフェス「モンバス」のタイムテーブルが発表されました。
「POLU」は、アコースティックステージ「茶堂」で、
初日のトップバッターでの出演とのことです。

サブステージだとは思っていましたけど、まさかの「茶堂」・・・意外です。
先日、このブログで、どうせ歌うなら「茶堂」が良いなんて書きましたけど、
本当にそうなるとは思ってもいませんでしたからね。
で、その時に、「竹原ピストル」さんの次がイイ、なんて云いましたが、
なんと「竹原ピストル」さん、今年はメインステージでのライブとのことです。
さすが紅白歌合戦に出場すると違いますね。


で、丸山純奈さんが2泊3日の沖縄での営業から戻ってきたようです。

宮古島でのロックフェスでは、金曜日の前夜祭と土曜日にサブステージでのライブ。
日曜日には、本島に移動して、イオンモール沖縄ライカムでミニライブをしたとありました。

宮古島の方は、写真はたくさん上がっているのですが、動画はほとんど無くって、
ツイッターに動画が上がっているのは、イオンモールの方です。

これって、やっていいのか分かりませんけど、リンクをはらせていただきます。

  ヒカリの愉快な仲間たち


まず、配信デビュー曲「ドラマ」
続けて、沖縄と云うことで「THE BOOM」の「島唄」
最後に、クリス・ハートさんのカバーである「I Love You」となっています。

「ドラマ」と「I Love You」については、本当に安心して聴いていられます。
どこでどんな状況でも、それなりに歌いこなせるというのは、
プロの歌手として、また一歩成長したのだなと、嬉しく思います。

「I Love You」では、サビのところで 、今まで「届いてーますか」と歌っていたのを
「届いていますか」と「い」を意識して歌うように修正しています。
このことで、サビに力強さが加わりました。
教えてもらったのか、自分で考えたのか分かりませんけど、
こういう進化を感じることができるのも、
動画をアップしてくださったファンの方のおかげであります。

MCは相変わらずの純奈節炸裂だったようです。
「音楽チャンプ」に出演したのを、「いつか忘れたけど」って、まだ、半年前のことですよ。

で、今回の注目は、なんと云っても「島唄」を披露してくれたことです。
以前から、彼女の発声は、奄美民謡の雰囲気があるなどと云われていましたから、
お似合いの選曲に思います。
歌うときに、足元をちらちら見ているのは、そこに歌詞カードでも置いてあるからでしょう。

実は、彼女のツイッターに「涙そうそう」を練習している動画が公開されていたので、
僕は、てっきり「涙そうそう」を、この沖縄のライブで披露するのだとばかり思っていました。

楽曲を制作した「THE BOOM」は、この歌のイメージが、あまりにも強いので、
沖縄出身と思われがちですが、彼らはは山梨県人であります。
この歌が太平洋戦争の沖縄戦を描写したものであることは、ご存じの方も多いかと思います。

そして、6月23日は「沖縄慰霊の日」でした。

追悼式典では、沖縄の中学3年生の女の子が慰霊の作文を朗読し、
翌日には、徳島の中学3年生の女の子が「島唄」を歌う、というのも感慨深いモノがありますが、
まあ、純奈さんが、この歌詞の意味をどれくらい理解し、
聴き手に伝えようとしていたかは未知数であります。
と云うのも、笑顔で歌っている姿を見ていると、
彼女は、沖縄の美しい自然情景を歌い上げただけで、
もしかしたら、よくある「ラブソング」の1つと捉えているに過ぎないのではないか、
そんな気がしてくるからです。

彼女にとって、沖縄戦なんてのは、自分の人生の何倍もの昔の出来事なわけで、
ましてや、彼女は内地の中学生です。
そんな子に沖縄戦に思いを馳せろなんてのは、到底無理な話に思えます。
もし「私、思いを馳せてます」なんて云う子がいたら、
そんなのは大人に良く思われたいだけの欺瞞にすぎません。

それにしても、何故「涙そうそう」にしなかったのでしょうか。
ただ単に、沖縄に因んだ歌を歌うと云うのであれば、
沖縄出身の「BEGIN」の作品で、歌詞だって無難な内容の「涙そうそう」という選択肢も
十分にありだったはずです。
歌うのが「慰霊の日」の翌日ということを考えると「島唄」は、扱いにくい楽曲です。
それを承知で、あえて挑戦したというのであれば、それはそれで評価しますが、
そういうことに、無頓着であったようにも、思えてしまうんです。

彼女は、「島唄」を歌う前に、この歌のことを「沖縄に因んだ曲」としか云いませんでした。
それ以上のことを教えてもらってないのか、教えてもらったけど忘れてしまったのか、
いずれにしても、余計なことを云わなかったのは、大正解だと思います。

彼女は、「島唄」を沖縄の地で、しかも慰霊の日の翌日に、
普通のラブソングのように、可愛らしく歌い切ってしまいました。
そんな彼女の歌を聴いて、沖縄って良い所だなあと思うのも、
沖縄戦の惨状に涙するのも、慰霊の日を冒涜していると怒るのも、
全ては、聴き手に委ねられているのです。

無知では伝えることはできません。
しかし、無知であるからこそ、伝わることもあるわけで、
「純粋に、ただ歌うだけ」という彼女の魅力を再認識することができたのが、
この「島唄」なのです。

2018年6月25日月曜日

松浦亜弥さんの何回目かのお誕生日に、この2つの動画を

松浦亜弥さん、お誕生日おめでとうございます。
ファンの端くれの一人として、ささやかながら、お祝い申し上げます。

今回貼り付けさせていただく動画は、「今だから分かる!平成のスーパーアイドル、あややの凄さ」と云う松浦亜弥さんの紹介動画です。編集してくださった「J un」さんは、ハロプロファンの方とお見受けいたしました。
公開2ヶ月足らずで視聴回数が約20万回越えですから、松浦亜弥さん関連でこのタイプの動画としては、異例とも云える再生数に思います。この記事を書いている時点での高評価2469、低評価35という支持率も凄いですね。

   
動画は、「桃色片想い」のPVから始まって、2001年のデビュー前の「100回のKiss」や紅白歌合戦の「Love涙色」など14歳から18歳までの「あやや」が9本のライブダイジェストで紹介されています。ライブテイクは、既存のYouTube動画か、DVDからのようですが、どれも「あやや」の「歌うまい・可愛い・格好イイ」が伝わるセレクトですし、字幕による解説もちゃんとあって、なかなかの力作に思います。

大人になってからの、後編も是非とお願いしたいものです。


それからもう一つ。
先日、ふくちゃんさんが、6年前に投稿してくださっていた、コンサートツアー「ダブルレインボウ」からの「Yeah!めっちゃホリディ」が、再生数300万回を越えたそうです。最近、再生数が急に伸びてきたとのことで、松浦亜弥さんは、アイドル曲は「あやや」が歌い、大人になってからはバラードやカバー曲を歌う、ってイメージでしたから、大人になった松浦亜弥さんが歌っているアイドル曲が、注目されるというのは不思議な気がします。


この動画が注目された最大の理由は、何と云っても、ふくちゃんさんのタイトルの付け方が、秀逸であったからに他なりません。
でも、PVを除いた、ライブ動画で、最も再生されているのが、「めっちゃホリディ」を歌う21歳の松浦亜弥さんのテイクというのも、如何なモノなんでしょうか。

もちろん、この動画は、とっても良いと思いますよ。でも、これって、ファンサービス的な意味合いのテイクに思うんですよ。「めっちゃホリ」ならば、15・6歳のテイクの方が絶対似合っていると思うし、21歳だったら、21歳で、素敵な動画が他にもたくさんあるじゃないですか。

だけど、時が経って、大人の「松浦亜弥」さんも、子どもの「あやや」も、共に過去のモノになっていくにつれ、松浦亜弥さんは、元アイドルだけど今はバラードシンガーであるという認識がなくなってしまい、こうやって、インパクトの強かったアイドル時代のイメージだけが残っていくのでしょう。

もちろん、何も残らないよりも、ずっと良いことではありますし、どの曲も、松浦亜弥さんの等しく大切な持ち歌に違いありません。
だから、封印するなんて云わないで欲しいし、いつまでも大切にして欲しいし、何歳になっても歌ってオカシイことは無いと思います。
三十路を過ぎて歌う「Yeah!めっちゃホリディ」も、きっと感慨深いものになるはずですから。

と云うことで、うかうかしていると、明日になってしまいますので、今日はここまでです。

2018年6月17日日曜日

丸山純奈が「ワン・コーラスだけで良いですかあ?」と歌ったドリ・カム「うれしい!たのしい!大好き!」の完成度

丸山純奈さんがボーカルを担当する「POLU」ですが、先日は「松山」で合同ライブ、今週末は「沖縄・宮古島」、そして、7月の始めには北海道の「新ひだか町」のイベントに呼ばれているみたいです。8月までは、週末ごとに何かしかのイベントに呼ばれているようで、なんか絶頂期のWinkみたいで、他人事ながら心配になってきます。

また、合同ライブでは、トリを務めることが多くなってきているようで、インディーズ系のバンドの中では、頭一つリードの感があります。とは云っても、先日の大阪ワンマンライブでは、スタンディング500人のライブハウスでチケット完売とはならなかったようですから、音楽の世界というのは、なかなか厳しいところのようです。

最近は、動画の撮影も厳しくなってきていて、ライブテイクがYouTubeに上がり難いようです。少しづつ有名になっていくのは、嬉しいことですが、淋しくもあります。

で、今回貼り付けさせていただくライブテイクは、2018年の2月10日に国営讃岐まんのう公園で開催されたバレンタインコンサートからになります。予定では、イルミネーションに照らされた野外ステージでのライブだったようですが、雨のために、急遽、場所をビジターセンターに移しておこなったとのことでした。

どうやら、突然のアンコールで、DREAMS COME TRUEの「うれしい!たのしい!大好き!」をワン・コーラス限定で披露する場面のようです。           


練習していないと云っているわりには、なかなかの完成度だと思います。サポートギターの「熊五郎」君との相性も良いようです。彼女にとっての練習とは、即ち、歌詞を覚えることなのでしょう。

実は、同じライブで、広末涼子さんの「MajiでKoiする5秒前」も歌っているのですが、足元に歌詞カードを置いてあるみたいで、歌っている時に下ばかり見ています。
ですから、彼女の場合、練習云々というよりも、歌詞カードを用意して有るか無いかが、重要なことのようです。

一般撮影されたライブテイクとしては、今のところ、これが最後になっていると思います。POLUの活動については、徳島新聞さんも精力的に動画をアップしてくださっているんですけど、ダイジェスト版が多いし、プロのマスコミさんにしては、動画の撮り方が、どうもイマイチなんですよね。

さて、丸山純奈さんは、バンドのボーカリストであること以上に、バラードシンガーの活動が高評価なのですが、僕が思うに、彼女の魅力が最も現れるのは、ギター伴奏1本での、いわゆるストリートシンガーを演じているときではないかと思います。

こちらは、一年前のテイクになります。同じ中学2年生なんですけど、日付が5月5日となっていますから、まだ13歳ですね。8ヶ月違うだけで、だいぶ幼く見えます。

   
「祈り~ユー・レイズ・ミー・アップ~」については、一流ミュージシャンたちの素晴らしいテイクがYouTube上に溢れかえっていますので、比較するのも酷な話ですけど、まあ、流行っているから挑戦してみようかというノリでしょうか。

歌が、細切れになっているのが気になりますが、これは、サポートギターの「バン」さんの責任もあるかと思います。もちろん、一言一言つぶやくように歌うというのもアリですが、彼女の場合、この歌い方はちょっと勿体ないように思います。

で、歌が2番になったときに、こっそり譜面をのぞきに来るところが、ナンとも可愛らしいです。これだけきっちり歌えているのに、歌詞は覚束ないのが、彼女らしいところであります。


国営讃岐まんのう公園といえば、彼女たちにとって、この夏、最大のイベントであろう「MONSTER baSH」が開催されるところでもあります。POLUは、サブ会場でのライブということになるでしょうが、フェスには、アコースティック用のステージもあるとのこと。いっそのこと、こちらに出演させてもらっても、面白いかもしれません。

できれば、「竹原ピストル」さんの次あたりで・・・w

2018年6月16日土曜日

「初音ミク×鼓童」スペシャルライブ参戦報告 後編 ~和太鼓とボカロ超高速歌唱の共演は最早カオス~

前編では”このライブは無料でも良かったのでは”などと書いてしまいましたが、鼓童のライブだと思えば、妥当な料金かもしれません。プロの和太鼓演奏など、こんな時でなければ聴くことも無かったわけですし。で、鼓童だけでの演奏は3曲ほど有ったように思います。見たことも無い大太鼓とか、目にも止まらぬバチさばきとか、さすがに格好良かったです。

一方、ボーカロイドだけの演奏も3曲ほどありましたが、面白いことに全てが鏡音リン・レンの曲で、こちらはいつものライブのノリでしたよ。

今回のセットリストの中で印象に残っているのは、何と云っても「南部牛追い歌」です。鼓童のお姉さんがソロで歌を披露してくれたんですけど、途中から初音ミクとのデュエットになりました。人間とボーカロイドの歌の共演。これこそ、僕が待ち望んでいた演奏で、こういうことが、もっと自然に、広く演奏されるようになってくれれば嬉しい限りです。この一曲が、今回のライブにおける最大の収穫だったと云えます。

でも、「ビバハピ」を演奏したときは、ビックリしました。何が凄いかって・・・。ボカロファンには有名な曲ですけど、知らない人も多いと思うので、貼り付けさせていただきますね。


この曲を和太鼓と合わせたら、どうなるか想像できますでしょうか。まあ、何事も、挑戦することは大切ですけど。

で、さらに凄かったのは、「初音ミクの激唱」です。


初音ミクの単独ライブでさえ、こんな感じなのに、これに和太鼓の音が、もろに被さってくるんですよ。最後の方なんて、何が何だか全然分からなくって、いろいろな音がNHKホールにわんわん響き渡ってました。もう、現代音楽など超越して、もはやカオス。笑うしかありません。

ただ、ライブレポートには、この曲で「感動した」とか、「凄く盛り上がりました」とか書き込まれていましたので、新人類(ニュータイプ)の人たちは。こういう音楽をちゃんと聞き分けることができるのでしょうね。

「ハジメテノオト」とか「桜の雨」の時は、和太鼓の音も控えめで、初音ミクの歌もちゃんと聞こえていたので、少しほっとしました。鼓童さんには、申し訳ありませんでしたけど。

それから、「千本桜」の時は、不思議と合っていたんですよ。僕にもちゃんと聞こえてきました。どうやら、和太鼓には和太鼓独特の音階があって、それが千本桜に合っていたのかと思います。って云うか、ただ単に、千本桜=和風という先入観に影響されていただけかもしれません。

伝統的な和太鼓と、近未来的なボーカロイド、日本が誇る2つの芸術文化を融合させようと云う試みが、成功していたのかどうか、僕には分かりません。
ただ、これは、初音ミクだからどうと云う話ではないように思います。安室奈美恵さんだって、松浦亜弥さんだって、和太鼓の伴奏でライブができるとも思えません。
そもそも和太鼓という楽器を、伴奏用として使うことが正しかったのでしょうか。だとすれば、人間では無い初音ミクだから、つまり、初音ミクの楽器としての側面で、かろうじてライブを成立させていたのでは無いか、なんて考えてしまいました。

まあ、いずれの演奏も、BS放送の時は、音声を調節してくれるでしょうから、NHK的には問題ないかと思います。せっかく、ハイビジョン4Kで放送してくれるって云うのですから、旧人類である、おじさんは、参戦するよりもテレビで見てた方が良かったかもしれません。

しかし、それでは、和太鼓が伴奏用の打楽器として、つまり単なる脇役として使われていただけになってしまい、今回のライブの主旨とは云えません。
やはり、初音ミクと鼓童が対等にパフォーマンスすることによって、生じるカオスこそが、今回のライブの本質だったのではないかと思います。・・・・おじさんにはキツいことでしたけど・・・・。

2018年6月9日土曜日

「初音ミク×鼓童」スペシャルライブ参戦報告 前編 ~和太鼓の破壊力はバーチャルをも粉砕!?~

6時過ぎとは云え、まだ明るい渋谷の街を僕は歩いていた。相変わらず若者と外人でごった返している騒がしい街だ。
「渋谷」は、その名の通りの「谷」である。スクランブル交差点が渋谷の谷底にあたる。だから、交差点に立つと、ぐるりと周りにあるビルとネオンが覆い被さってくる。まるで、武道館のアリーナに立って、スタンド席を見上げてるみたいだ。この街が異様にハイテンションなのは、この地形のせいなのだ。って大発見したつもりでいたのだが、「ブラタモリ」でも云ってたかもしれない。

渋谷なんて馴染みの無い街に、こんな短期間で2度も来てしまったのは、「初音ミク×鼓童」のスペシャルライブに参戦するためだ。僕は、NHKホールに向かって坂道を登っていった。「NHKホール」・・・なんという文化的な響きだろう。

先月おじゃましたライブハウス「eggman」の前の信号をわたると、NHKホールが見えてきた。グッズ売り場をスルーして、入り口でチケットを提示する。チケットもぎりのお嬢さんからして、品格があるように思う。マジカルミライで行った幕張メッセのお姉さんとは明らかに違う(ゴメンナサイ)。

NHKホールのキャパは3500人。今では、ドームとかアリーナとかの大箱でライブをすることが普通になってきたから、たいしたことないように思うが、正規のコンサートホールとしては、日本屈指の大ホールなのだ。入ったときは、それほど大きく感じなかったのだが、とてつもなく高い天井と、遥か彼方の三階席を見たとき、その大きさを実感した。
今回ゲットしたのは、P席である。コンビニで発券してチケットの「P」って字を見たときは、A、B、C、・・・随分後ろだなあって思ったのだが、「P」はオーケストラピットの「P」だと分かった。まあ、端っこの方ではあるが、それでも前から3列目という、ライブ参戦史上最前席だ。
目の前には、テレビカメラを載せたトロッコのレールが敷かれていて、隅には、ケーブルさばきの兄ちゃんがつまらなそうにしゃがんでいる。今回は、ハイビジョン4Kの撮影も入っているらしい。

鼓童からは、9人のメンバーが参加してきていた。初音ミクのバックバンドは、今回4名だったから、出演者は13人の人間と、4体のバーチャルシンガーである。
ライブは、19時きっちりに始まって、終わったのは、21時ちょうど。機械のように正確なのは、初音ミクが機械だからだ。

観客は、基本的には、マジカルミライと同じような感じだったが、夜の部のためか、親子連れは1組くらいしか見なかった。中年夫婦みたいなカップルが多いのは、ファンの年齢が毎年上がっていくからで、当たり前のことなのに、初音ミクが永遠の16歳のせいで次第に違和感が出てきている。一緒に歳をとっていれば、初音ミクも26歳の立派な大人なのだ。観衆が中年男女でも、26歳のシンガーのライブだったら、全く問題ないだろうに。
僕の斜め前に、明らかに後期高齢者のお爺さんが一人で来ていた。鼓童のファンなのだろうか。これから始まるライブのことを思うと、大丈夫なのか心配になってしまったが、いざ始まると、控えめながらもペンライトを振っていたので、安心した。

今回のライブは、オリジナルペンライトが全員に支給されていた。それで鼓童と初音ミクが出ていて、NHKホールのS席7500円は安い、って云うか、マジカルミライの9000円がぼったくりなんだろう。
両手にペンライトを持っているのは、昼の部にも参戦した奴だろう。マジカルミライは、毎年SOLD OUTだが、このライブは、当日券も出ていたようだ。


鼓童の和太鼓から、ライブは始まった。すぐに初音ミクが出てきて、共演となったのだが、これがトンデモナイことだった。

僕の席は、端の方なので、片方のスピーカーの音ばかりが聞えてくる。それだけでも聞き取りにくいのに、それに鼓童の和太鼓から直に出てくる音が、もろに被さってきたのだ。鼓童の皆さんの鍛え上げられた腕っぷしで、力いっぱい叩かれた和太鼓の生音は、アンプで電気的に増幅された楽器音など、いとも簡単に粉砕してしまった。
テレビ放送やDVDの音は、PAによって調整されるから、問題なく聴くことができるのだろうが、和太鼓から直接ホールに聞えてくる音は、PAでは制御できない。初音ミクの歌が、和太鼓の音でかき消されてしまうという、予想もしない事態に戸惑うばかりである。
まあ、これは、僕の席でのことなので、中央の後ろの方だったら、もう少しちゃんと聴こえているかもしれない。前席の端というのが、完全に裏目に出てしまったということにしておこう。だとしても、ホール内の音のバランスは、崩壊していたことに変わりない。

まあ、NHKとしては、良い番組を作ることが、最優先の目的なのだろう。僕らは、いわゆるスタジオ見学の視聴者代表の扱いだったのだ。お笑い番組などで見られるように、演者は、誰かに見られている方がやりやすいと云う。僕らは、鼓童の皆さんが演奏しやすいよう呼ばれた観客なのだ。さらに、ホールに響くコールとか歓声とか、ペンライトを振る姿とかを撮影すれば、ライブの盛り上がりや臨場感を伝えることができるわけだし。って、だったら無料でも良くないか?

というわけで、ちゃんとPAを通した演奏を貼り付けさせていただきます。しつこいようですが、ホールでは、こんな風に聞えてませんでしたよ。


まあ、和太鼓の生音を侮ってはイケないということを思い知らされたわけである。

お終いに、テープ砲が発射されて、頭上から大量のテープが振ってきた。せっかくだから、2本ほど記念にもらうことにした。こういうのって、ただのキラキラテープだと思っていたのだが、ちゃんとライブ名が印字されている専用のテープだってことを初めて知った。それとも、NHKだからなのか。比べようも無いので分からないままである。


というわけで、まずは悪口をまとめて書かせていただきました。ライブには、もちろん良かったこともあったわけで、それについては、後編で。

2018年6月7日木曜日

人工知能搭載型ボーカロイド「初音ミクAI」への道 その3 ~歌詞ってナンだろう~

歌うことに関して云うと、日本語は特殊な言語だと云う。

歌うとは、言葉を音にのせることである。1つの音には、1音節または1拍の音声が対応する。例えば、「ILove You」は、文字数は8であるが音節数は3だから、歌うためには音符が3つあればよい。
ところが、「オレはオマエを愛してる」と歌うと、日本語は、ほぼ「文字数=拍数」だから12拍となり、12個の音符が必要になる。
夏目漱石みたいに「月がきれいですね」と意訳すると9文字9拍、二葉亭四迷の「死んでもいいわ」でも7文字7拍である。
中国語は音符1つに漢字1文字だと思うが、漢字はそれ自体に意味を持つので、7文字歌えばかなりの情報量になる。

これは、俳句の世界でも同じで、日本語の俳句は、5・7・5の17拍の中にいかに情報を盛り込むかを工夫するものだが、英語俳句では、17音節だと情報量が多すぎて俳句っぽくなくなるそうで、2・3・2の7音節とか、3・4・3の10音節で作ることが普通らしい。

日本語は、歌うにあたって音符を大量消費する世界的にも珍しい言語なのであり、同じ音符数で比べた場合、日本語の歌は英語の約半分の情報量しか持っていないのである。

 例えば、Norah Jones「Don't Know Why」で繰り返し歌われるフレーズ「I don't know why I didn't come」(どうして行かなかったのか、自分でも分からない)は音符8個で歌われるが、この文を8文字の日本語に意訳するのはかなり難しい。「私、ここに居たの」とか「立ち尽くすばかり」などと意訳して歌ってるテイクがYouTubeにあって、なかなか健闘しているとは思うが、「愛していたはずなのに、最後の最後でためらったことへの後悔」というニュアンスを伝えきれてるとは言い難い。

そんな日本語が持つ弱点の対応策として、いくつかのチャレンジがなされてきた。1つは、70年代のフォークソングに見られる、16分音符を大量に用いて歌いまくる方法である。
他にも、1音に複数の文字を当てはめ、英語っぽく歌ってしまうというやり方があるそうで、近年、実践しているアーティストも多くなっているとのことである。

そして何より、日本の作詞者は、限られた文字数の中で、いかに想いを伝えるかを工夫してきた。

演歌などは、あれこれ欲張らずに、7・5調の短い場面描写だけで、楽曲を成立させている。修飾語で飾り立てることが難しいから、名詞中心のシンプルな歌詞になる。
さらに言葉が省略されたり、抽象的な言い回しも多い。「I Love You」だって「好きだ」だけなら3拍でOKだ。
ただ、こういうことをしていると、多くのJ・POPの歌詞がそうであるように、聴き心地の良い単語やキーワードの羅列になり、読み取りは、どんどん難しくなる。

前回紹介させていただいた、丸山純奈ちゃんの「始まりのバラード」だって、平均的学力(?)の中学2年生が、歌詞の内容をどこまで読み取れているのか疑問である。(ちなみに彼女は、「得意教科は?」と聞かれて「体育です!」と即答したらしい。)

あなたの「強さ」と名付けられる愛のために、私が「情熱」をなくすってことは、見栄っぱりの彼に、彼女がドン引きしたってことだし、その二人が「またロマンスに抱かれる」のだから、焼け木杭に火が付いたという話になる。いったい「始まりのバラード」って、何が始まったことを伝えたいのだろう。僕には、「アンジェラ・アキ」さんがこの歌に込めた想いを、正しく読み取る自信がない。

そもそも、この歌は、1番が「あなた」であり、2番が「わたし」を歌っているようなのだが、ハッキリしない。純奈ちゃんが「わたし」と「あなた」と「ふたり」をごちゃ混ぜにして歌ってしまうのは、誰が何をどうしたかを、ちゃんと書ききることが難しい日本語の歌詞が原因とも云えるのだ。

以前、人工知能搭載型ボーカロイド「初音ミクAI」の記事で、歌詞は限定された文章なので、AIでも読解は可能だろうなどと気軽に書いてしまったが、細かく描写しなくても、日本人同士なら分かり合えるだろうって前提で書かれた文と、その文で構成された文章の行間を、AIが読み取れるとは思えない。

しかし、歌を聴くのは、文章を読むのとは異なる。聴き手は、必ずしも歌詞全体の構成をとらえながら聴いているわけではない。歌は、その場限りで消えて無くなっていくものだから、今聴いているワンフレーズやワンセンテンスに違和感を感じなければ、全体の構成が理解できなくても、感動できてしまうのだ。
純奈ちゃんが「世界一長い夜にも必ず朝は来る」ってサビで歌うとき、僕がうるっときてしまうのは、その部分しか意識にないからである。

僕は、学校で歌わされた校歌が嫌いだった。1番が「光あれ」で、2番が「力あれ」とかになっていると、必ず間違えたものだった。歌詞が入れ替わっても通用してしまうからだ。
そもそも「光」と「力」は同じではない。それが交換可能になってるのは、歌詞が、校歌にありそうな言葉を単純につなげただけだからだ。そして、そういう歌詞って、結構多いと思う。
実は、純奈ちゃんが間違えるところも、こういった部分に思える。どっちでもイイから、間違える。
優れた歌詞は、必然だから、語句の交換など不可能だし、人の心に刻まれるし、当然、破綻もしない。そんな歌詞なら、きっと純奈ちゃんも歌い間違えることは無いだろう。

初音ミクのライブでは、最後に「桜の雨」をみんなで歌うのが定番になっている。「桜の雨」の歌詞も、卒業の検索関連ワード集みたいな感じで、ツッコミどころ満載なのだが、歌うとそれなりに感動するし、中には泣いている奴だっている。たとえ歌詞が、ただの自己満足で、聴き心地の良い単語やキーワードの羅列に過ぎなくとも、ちゃんと感動できるのが「歌」であり、「歌う」という行為なのだ。

だから、文字だけで勝負する詩や俳句と違って、歌うための作詩ならば、誰にだって書けると思う。伏線を張り巡らせる必要も無いし、関連ワードを検索してつなげるだけならAIにだってできる。作詞のハードルは決して高くない。それでアーティスト扱いしてもらえるのなら、松浦亜弥さんだって、遠慮せずにどんどん書けば良かったのだ。

歌詞は、文章ではあるけれど、全体の構成の理解が必須でなく、無理して行間を読み取る必要のないものと云える。歌は、フレーズの単純な集合体と云う考えが、歌唱についてだけでなく、歌詞の構成と読解に関しても通用するならば「初音ミクAI」の未来は明るい。

って、思いのままに書いてきて、読み直してみたら、論点がズレまくってることに気がついた。文章としてはいただけなないが、歌詞だったらスルーしてもらえる・・・かな?

お終いに。あっちこっちからパクりまくって書いた「Don't Know Why」の直訳詞です。松浦亜弥さんの歌と共にどうぞ。
             

「Don't Know Why」     直訳詞
夜明けを ずっと待っていた
でも私 行かなかった 何故だか分からないけど
あなたを思い出の傍らに置いたまま
どうして私 行かなかったんだろう
どうして私 行かなかったんだろう
夜明けを見た時、飛んで行けたらいいのにと思った
砂の上にひざまずき この手で涙を受け止めても
心をワインに浸してみても あなたを忘れることなんてきない
果てしない海の彼方なら エクスタシーに浸れるのかも
でも 私は消えてしまいそう 孤独に車を走らせながら
心をワインに浸してみても あなたを忘れることなんてできない
何があなたを逃がしたの
でも私 行かなかった 何故だか分からないけど 
心は ドラムみたいに空っぽ
どうして私 行かなかったんだろう
どうして私 行かなかったんだろう

外国の歌だから、そのまま外国語で歌ってしまっても良いのだろうけど、西城秀樹さんの「ヤングマン」だって日本語で歌ったからこそ、ずっと人々の心に残っているわけだし、そのまま歌える日本語の意訳詞をお願いしたいものである。

できれば、聴き心地の良い単語やキーワードの羅列のみでないものを。

2018年6月1日金曜日

伊豆の白枇杷(びわ)の話 (再掲)

 今年も枇杷の季節になった。僕の住んでいる町には、家の庭先とか、畑の一角とか、公園の片隅とか、思わぬところに枇杷の木があって、たわわに実をつけている。枇杷の木は、実を食べた後の種を埋めておくなどすれば、実生で簡単に増やせるそうだから、そうやって増えていったのだろう。
 ただ、その実は、いわゆる「琵琶」の形をしている一般的な枇杷と違って、丸くて小さい。これは、「白枇杷」と呼ばれているもので、伊豆半島で栽培されていた品種だ。


 僕が生まれた村は、かつて「白枇杷」の栽培が盛んだった。今は、限られた農園でしか栽培されていないとのことだが、僕が子どもの頃は、村には「枇杷山」と呼ばれている果樹畑があちらこちらにあった。

 枇杷の収穫は短期決戦だ。枇杷山を所有しているのは、本家と呼ばれている、地主クラスの家だった。季節になると、村の女性たちは、枇杷山へ収穫の手伝いに行った。
 僕の祖母も、朝早くから日の暮れる頃まで、枇杷山で働いていた。そして、ザルいっぱいの枇杷を持って帰ってきた。たぶん、虫食いや傷みがあって市場に出せないやつをもらってきたんだと思う。今だったら、ジャムなどの加工用にまわすのだろうけど、当時は、そんなことを考えもしなかったのだろう。
 僕らは、ザルの周りに群がって枇杷を食べた。腹一杯、飯が食えなくなるくらい食べまくった。で、次の日になると、また、ザルいっぱいの枇杷を持ってきた。この季節は、村のどの家にも枇杷が置いてあって、食べ放題だった。冬、こたつに入って蜜柑を食べるような感覚で枇杷を食べていた。
 枇杷の実には渋があって、たくさん食べると、指先が茶色に染まった。この渋は、ちょっとやそっと手を洗っただけではとれなかったから、村の子どもたちは、この時期、みんな指先を茶色に染めていた。
 枇杷という果物が、高級で、腹一杯食べるようなものでは無いということを知ったのは、大人になってからである。

 幼いときの記憶ではあるが、枇杷山に遊びに行ったことがある。山には、収穫小屋(と云っても普通の平屋の一軒家くらいあったと思う)があって、枇杷の絵が描かれた紙を貼った木箱が積まれていたのを覚えている。
 枇杷山は、果樹園というよりは、自然林に近かった。枇杷の木は人々が植えたのであろうが、整然と並んでいるわけでは無くて、山をめぐり、高木に梯子をかけて、実を収穫していたように思う。

 「白枇杷」は、一般的な「茂木枇杷」などと比べて、実が丸く小さいのが特徴である。ところが、実が小さいのにかかわらず、種の大きさだけは他の枇杷と同じときている。ただでさえ、枇杷は食べる部分が少ないのに、白枇杷はさらに食べる部分が少ない。枇杷の可食率は65%程度と云われているが、白枇杷は50%も無いと思う。実が薄いので缶詰などに加工することもできない。さらに、白枇杷の実は柔らかく傷つきやすいので、長距離の輸送に耐えられないし、日持ちも極めて悪かった。
 そんな厄介な品種であるのにもかかわらず、白枇杷が珍重される理由は、その味の良さにあった。濃くて上品な甘さは、他品種とは別物と云えるほど美味しい。嘘では無いが、こればかりは実際に食べてもらわないと理解していただけないだろう。
 ただ、欠点が1つあった。白枇杷は、味のバラツキが極めて大きいのだ。もの凄く美味しい実があると思えば、ほとんど味のしないものもあって、それが、外見からは全く判別できないのである。まさにロシアンルーレット状態。白枇杷を食べていると、時々「うおー」という声が出る。これは、当たりを引いた時の、思わず発する至福の叫びだ。

 そんな枇杷の中に、比較的実が大きくて、いわゆる琵琶の形をしたものが混じっていることがあって、これは「ツクモ」と呼ばれていた。果肉は厚めで赤っぽく、味は大味で、可も無く不可も無くといったところだろうか。大人たちの話によると「田中枇杷」との交配によってできた雑種だという。この交配が人為的なものか、自然交配なのか、僕は知らない。が、みんなは、この「ツクモ」を蔑んでいた。村の人たちにとっては、「白枇杷」こそが枇杷であり、誇りだった。
 でも、僕は、この「ツクモ」が好きだった。肉厚で、何より、味にハズレが無いのが良かった。僕が「ツクモが好きだ」と云うと、変わり者あつかいされた。
 
 やがて、食生活が豊かになり、様々な果実が流通するようになって、枇杷の生産量は減少していく。収穫期間が短く、多くの人手を必要とし、デリケートな「白枇杷」は、市場に流通させるには、あまりにも不向きな品種だった。
 村では、枇杷を使って羊羹を作ったり、ワインを作ったりしたようだが、成功したという話は聞いていない。結局、生食以上のものなど有り得なかったのだろう。
 だが、最も深刻な問題は、村の急激な過疎化と高齢化だった。管理する人手の無い枇杷山は、次々と荒廃していった。

 今、伊豆の「白枇杷」は、生産量が極めて少なく、その全てが観光農園と特売所で消費されてしまうので、一般の市場に出てくることは無いという。「初夏の宝石」とか「幻の果実」とか云われているそうだ。観光農園の枇杷狩りは、40分で1500円だと聞いた。
 「以前は枇杷を腹一杯食べたものだ」なんていう話は、完全な昔話になった。もっとも、今ではそんな話をする者もいないだろうし、聞いてくれる者もいないだろう。


 実は、ここだけの話、現在「白枇杷」として売られている品の中には、かなりの比率で「ツクモ」が入っている。恐らく、純粋な白枇杷だけでは、出荷量を確保できないのだろう。でも、これを偽装表示だとか詐欺だとか云う気は無い。「ツクモ」だって僕の故郷が誇る枇杷に変わりないからだ。

 ただ、年寄りたちが生きていれば、何というだろうか。