2017年2月12日日曜日

ウォーターライン製作記①  眠れる巨人タミヤ編  ~巡洋艦「熊野」・航空母艦「隼鷹」と南太平洋海戦~

 昨年の秋に「船舶画家 上田毅八郎 追悼展」に行き、久しぶりにウォーターラインのプラモデルを作ってから、ハマってしまいました。
 追悼展の売店で、巡洋艦「熊野」と駆逐艦「暁」を購入しまして、その後、航空母艦「隼鷹」を新宿のヨドバシで購入しました。年末年始は、お休みのほとんど全ての時間を費やして、次に何を作ろうかとネットで調べまくっていました。

 プラモデルには3つの楽しみがあります。何を作るか考える、作る、眺めるです。その中で一番楽しいのは、考えているときです。子どもの頃は、買う当てもないのに、おもちゃ屋やプラモデル屋に一日中入り浸ってました。今では、それがネットに代わりました。Amazonのレビューなんてほとんど読み尽くしましたよ。

 それまでの3艦は全てタミヤ製でしたから、他社の製品も、ということで、フジミの巡洋艦「摩耶」、ハセガワの空母「赤城」、アオシマの戦艦「山城」をAmazonで購入しました。時間を見つけては、コツコツと組み立てているところです。

 それから、道具も揃えました。「精密ピンセット」「薄刃ニッパー」そして「流し込みセメント」です。プラモデル代よりも高く付きましたけど、やっぱり道具は大事です。良い道具は、ストレス無しに作業ができますので、組み立てていて本当に楽しいです。
 僕はもうオジさんなんで老眼が入ってますけど、近視ですので眼鏡を外せば手元はハッキリと見えますから。
 ただ、作っているうちに、指先が荒れてきたんです。最初は、抗ガン剤の副反応がぶり返したのかなんて思っていたのですが、どうやら接着剤に含まれている有機溶剤が原因のようです。直接指についたわけではないのですが、揮発した溶剤が悪さをしているみたいです。「流し込みセメント」恐るべしです。

 でも、組み立てているだけです。エッチングパーツはもちろん、塗装すらしていません。いわゆる「素組み」「無塗装」ってやつで、小学生レベルです。
 まあ、いくら精密に作ったところで限界はあるわけで、中途半端に塗装してしまうより、無塗装のプラスチックを心の目で眺めて想いを飛ばしている方が楽しいって・・・ちょっと苦しいですね。でも、タミヤ会長は、「ウォータ-ラインはシルエットを楽しむもの」と発言したそうですよ。これは、最近のディテール重視の流れに完全に逆行しているのですが、しょせん1/700モデルですからね。今ではプラモデル作りなんて、暇なオジさんしかやってませんから、精密モデルが支持されるのも分かりますが、1/350モデルとの棲み分けを考えれば当然のこととも云えます。質より量、たくさん作って並べて楽しむと云う、原点に帰った楽しみ方ってことにしておきます。

 タミヤの製品は、相変わらず組み立てやすかったです。ただ、最近リニューアルをしていないみたいで、20年以上前の製品を未だに売ったりしています。まあ、それでも通用するところがタミヤの凄いところなんですけど。
 上田毅八郎氏の箱絵が多いのが涙ものですね。リニューアルを機に他の作家さんのイラストになっていたものを、最近になって毅八郎氏の作品に戻したなんていうモデルもあるようです。

 巡洋艦「熊野」は、艦これでも人気のキャラで、このブログでもMMD動画を紹介させていただきました。


 箱絵は上田毅八郎氏の作品です。リニューアルが進まないタミヤ製品の中では、比較的新しいもので、パーツのディテールも良かったです。ただ、主砲が砲身まで一体化されていて1個のパーツだったのには、びっくりでしたけど。

 素組・無塗装のプラモデルをブログに載せるというのは、かなり勇気が必要なんですがw


 中学生の頃を思い出します。友人の家に集まって、ウォーターラインを並べて写真を撮ったことがありました。プラモデルを青いセロハンの上に乗せ、脱脂綿を魚雷の航跡や水柱に見立てたりしました。デジカメでバシバシ撮ってパソコンでプリントアウトする今と違って、当時は、フィルム代や現像料、プリント代などを合わせるとかなりの高額になりましたから、1枚1枚を大切に撮ったものです。出来上がった写真は、どれも若干ピンぼけでしたけど、妙なリアル感があって、悦に入ってました。

 現実世界の巡洋艦「熊野」は、太平洋での各海戦に参戦した後に、レイテ沖海戦で被害を受け、修理のため日本への帰路の途中、米航空機の攻撃を受け沈没、戦死者498名とありました。636名いた生存者もその後、陸上部隊に編入されるなどして終戦までに497名が戦死したとされています。
 艦艇が夜戦や混戦の中で撃沈された場合、生存者ゼロなんていうことも多いのですが、「熊野」のように比較的生存者が多い場合も、艦を失った乗組員は、陸上部隊に編入され、ろくな装備も与えられないまま最前線に送られることも多く、帰還率は極めて低かったようです。
 軍艦乗りというプライドを失い、フィリピンのジャングルで戦死した彼らの無念さは、平和な現代に生きる我々には、想像もつきません。


 航空母艦「隼鷹」は、艦これには出てきますが、MMDモデルは無いみたいで、彼女が登場する動画は見つかりませんでした。
 この箱絵も上田毅八郎氏によるものです。発売当時は、傑作キットと云われた「隼鷹」ですが、最近のディテール合戦の中では、若干見劣りするのは否めません。ただ、部品数が少ないぶん、組みやすさという点では、ピカイチです。上級のモデラーさんたちには、自分で手を加える余地が多いと云うことで、意外と評判が良かったりします。

 この艦の最大の特徴である艦橋と煙突をアップで撮しましたw


 現実世界の「隼鷹」は、昭和15年に開催されるはずであった東京オリンピンクに備え、北米航路の豪華客船として建造された「橿原丸」を母体とした改装空母です。改装空母とはいえ、もともと全長200m以上の大型客船。搭載機数は、53機といいますから、攻撃力は中型の正規空母に匹敵するものでした。
 太平洋各地を転戦した「隼鷹」でしたが、最も有名なのは、南太平洋海戦においてアメリカの正規空母「ホーネット」を撃破したことでしょう。「隼鷹」の航空隊には、ミッドウェー海戦で撃沈された空母「加賀」の航空隊員が多数配属されていて、練度・士気ともに高かったと云います。
 しかし、この海戦で日本軍は敵空母を撃破したものの、航空機、特にパイロットの損害はアメリカの数倍という有様でした。日本の攻撃部隊の帰還率は40%以下。一説には、敵の航空機攻撃を恐れ、戦闘機を空母の護衛中心に運用した結果、攻撃部隊に十分な護衛を付けられなかったためと云われています。空母を失ったがパイロットは生還したアメリカ軍、空母は残ったがパイロットを失った日本軍、どちらが真の勝者であったかは明らかです。

 洋上の空母への着艦は、揺れる木の葉の上に降りるようなもので、極めて高度な操縦技術を必要とします。アメリカ軍が不時着機を必死になって探すのは、人命尊重などというレベルの話ではなく、一人前のパイロットを養成するコストを考えれば、当然のことなのです。
 日本機動部隊は、150名近い開戦以来の熟練搭乗員を失い、その後は、補充と消耗を繰り返しながら衰退していきます。戦争後半には、空母があっても航空機が無く、航空機があっても搭乗員がいないという状態で、「隼鷹」も格納庫に物資を積んで、輸送船として任務にあたっていたと云います。やがて艦船を運用する燃料さえなくなり、佐世保港で係留されたまま終戦を迎えることになります。

 「隼鷹」は、係留中にカモフラージュとして、飛行甲板に樹木の鉢を置いていました。ある時、アメリカの航空機が飛来し、遂に見つかったかと思ったそうですが、落ちてきたのは爆弾ではなく1枚のビラ。そこには、「木が枯れかかっているので水やりをするように」と書かれていたそうです。・・・ネット情報ですから。

 タミヤは模型業界を代表するメーカーで、信奉者も多いのですが、アンチも多いようです。まあ、盟主に対して反発するのは、ネットの住人の性ですからね。
 何より、残念なことは、ウォーターラインシリーズに対して、タミヤのやる気の無さが目立つことです。タミヤは他にもいろいろとありますから、この先、売れるかどうかわからないものに、高いお金をかけて新金型を作ろうなんて思わないのでしょう。
 ファンとしては、タミヤが本気を出してくれることを願っているのですが、先細り感が強い模型業界、願いが叶うのは難しそうです。

 さて、次は、何を組み立てましょうか。

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