2016年11月1日火曜日

「酒飲み」考

 世の中に、お酒の好きな人は多いでしょうが、「酒飲み」とまで呼ばれる人は、多くは無いと思います。
 そう云う僕は、酒飲みでも酒好きでもありません。酒を飲んで記憶をなくすという話は、からっきし酒が飲めない僕には無縁のことです。僕は記憶をなくす前に、気分が悪くなってしまいます。乾杯のビールをやっと半分飲み終わった時に、また、満杯につがれて、振り出しに戻ってしまうのがツラいという人間なんです。
 結局、自分が酒を飲めないので、相手に酒をつぐことが苦手です。タイミングというか頃合いが分かりません。空になっているグラスを見ても、ついで良いものか、余計なことなのか、自分で勝手に悩んじゃうんです。で、面倒なので、飲み会の時は、つぎに回ることなどなく、席も動かず1人で座って料理を完食しています。

 僕のこのようなありさまは、母方の血筋を引き継いだためです。で、僕の父方の血筋というのが、これまた、どうしようもない酒飲みなんです。

 以前にも書かせていただきましたが、僕は、とある半島の、とある漁村で生まれました。僕の祖父は漁師でした。僕は、これでも漁師の孫なんですよ。

 幼い頃、僕の家での手伝いは、祖父さんの晩酌用の焼酎を買いに行くことでした。夕方になると、外で遊んでいた僕は、家に呼ばれて、空の小瓶と白銅貨を渡されます。それを持って、近所の酒屋へ行きます。すると、奥からオヤジさんが出てきて、小瓶に漏斗をさし、樽の栓を抜き、焼酎を注いでくれました。その間、僕は、ずっと黙ったままでしたが、毎日のことでしたから、別に問題はありません。それが、僕の、毎日の手伝いでした。

 僕が生まれるずっと前、焼酎を買いに行くのは、伯母の役目だったそうです。伯母は父(つまり僕の祖父)が毎晩酔っ払うのがとても嫌で、酒屋からの帰り道、こっそり瓶の蓋を開けて、ドブ川に少ーーし焼酎を捨てていたそうです。捨てると云っても気づかれない程度ですから微々たるものですけど、その子ども心、痛いほどよく分かります。

 祖父の家を出てからは、父親の晩酌用のビールを買いに行かされました。買い物かごを持って、大瓶3本を、近所の酒屋まで買いに行きました。僕は、親子二代の酒飲みに、毎日酒を買いに行かされた哀れな少年でした。

 なぜ、毎日酒を買いに行くのか不思議に思う方もいるかもしれません。でも、それが酒飲みの家なんです。酒飲みという奴らは、あればあるだけ飲んでしまいますから、酒の買い置きができないんです。で、毎日毎日、その日の分を買ってきて、飲み終わったらそれでお終い、というルールを作るわけです。
 よく、「ビールが好きだから、冷蔵庫にビールを切らしたことがない」なんて云いますけど、酒飲みの家では有り得ない話です。
 つまり「酒飲みの家に酒は無い」ということです。

 祖父さんは、何を思ったか、時々断酒をしました。子どもの僕には、分かりませんでしたけど、きっと酒で失敗をして、深く反省をしたんだと思います。一切飲まなくなって、牛乳屋に毎朝牛乳を配達させたりして、人が変わったようになりました。でも、何週間かすると結局飲むんですけどね。
 つまり「酒飲みは、時々、極端な断酒をする」ということです。

 祖父さんも、父も、毎晩のように酒を飲みました。でも、ほとんど、外で飲んだことがありません。父は、サラリーマンでしたから、会社の付き合いがありましたが、漁師の祖父さんにいたっては、外で飲んできたという記憶が全くありません。家で飲めば、家族から嫌がられるわけで、そのうち喧嘩が始まるんですけど、それでも毎日、家飲みをしていました。理由は簡単です。外で飲むと高くつくからです。酒飲みは、酒場の雰囲気なんて関係ありません。酒が好きなんですから、同じお金でたくさん飲める、家飲みをすることになります。
 つまり「酒飲みは、外では飲まない」ということです。

 よく、息子が大人になったら、一緒に酒を飲むのが楽しみだ、なんていう、ほのぼのとした話がありますけど、僕は、一度も酒を勧められたことがありません。大人になってからも「一緒に飲むか」なんて言われたことがありません。理由は、お分かりですね。人にやったら、自分の飲み分が減るからです。酒はつぎつつがれつ、なんて云いますけど、酒飲みには、有り得ない話です。酒飲みは、手酌ですし、基本、相手につぐこともしません。
 つまり「酒飲みは、人に酒を勧めない」ということです。

 それから、不思議なことですけど、父は、祖父と同居している時期は、家では酒を飲みませんでした。親子で酒をつぎあっている場面など見たことがありません。父が酒飲みとしての本領を発揮するのは、別居してからです。
 どうやら「酒飲みは、一家に一人しか存在できない」ようです。

 子どもの頃は、当然のことながら、酔っ払いが嫌いでした。臭いし、しつこいし、何より、目が据わってきて、人が変わってしまうのを見せられるのがイヤでした。
 そんな僕も、今では、たまにお酒を飲もうかなって思うときがあります。スーパーマーケットのビール売り場で、期間限定とか云う美味しそうな缶をみると、ふらふらっと買ってくることがあります。で、冷蔵庫に冷やしておくんですけど、結局、何週間も入れっぱなしになって、いつの間にか、無くなっています。
 それから、酒を飲んで騒いでいる人を見ると、羨ましく思えるときがあります。たわいもない話で盛り上がって、楽しそうです。まあ、そのレベルで止まってくれれば問題ないんですけど、酔っ払いと云うのは、そのうち、くだを巻き始めますからね。でも、酔っ払うって、どんな心持ちなんでしょうか。

 祖父さんが67才の夏のことです。やたらと疲れを訴えるようになり、やがて寝付いてしまいました。村のお医者さんに往診に来てもらいましたが、病状は悪くなる一方でした。お医者さんは、「もう、息子さんも立派になられてますから」なんて言い出す始末でした。
 でも、さすがに、このままほっとくわけにはいかない、ということになって、救急車を頼んで、峠を越えた町の病院へ連れて行きました。病室に入れられ、点滴につながれた祖父さんは、さかんに喉の渇きを訴えました。子どもだった僕らは、病室から出されましたが、祖父さんの水を欲しがる声は、廊下にまで聞こえてきました。ようやく静かになったと思ったら、ほどなくして祖父さんは死んでしまいました。病院に着いてからわずか数時間のできごとでした。病名は、おそらく十二指腸潰瘍だろうとのことでした。

 祖父さんが、死ぬ間際に飲みたがっていたのは水でした。ですから、今でも仏壇には、酒ではなく、水が供えられています。

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