2016年2月10日水曜日

初音ミクのライブの魅力を再考する

 初音ミクやボカロのファンというのは、様々なスタンスの方がいます。人間のアーティストのファンならば、いつかは、ライブに参戦したいと考えるのは、極めて普通の事だと思いますが、ミクの場合は、必ずしもライブに行くことを考えていないファンも多いのではないかと思います。
 そう云う僕だって、ミクのファンを自称していながら、ボカロ関連本を読んだこともありませんし、アーケードゲームをしたこともありません。カゲロウプロジェクトには、世代の壁を感じてしまいます。
 ミクを楽曲の発表ツール、DTMのソフトウェアーと考えて利用している方にとっては、ライブもゲームも無縁なことかもしれません。だから、初音ミクのファンに巡り会えたとしても、相手がミクのどの分野に興味があるのかで、話が合わないことだって考えられます。

 ですから、初音ミクのライブに集まるファンというのは、多彩なミクのファンの一部ということになります。ところが、その一部がこれまた多彩な顔ぶれなんですよ。

 先日コメントをいただいたneko kuroさんのように、ミクの姿形でなく、その音楽に魅せられたファンにとっては、ミクの姿が見えないような末席でも、楽しめるわけで、これは、普通のアイドルコンサートでは考えられないことだと思います。
 そもそも、初音ミク最初のライブ「ミクフェス’09」では、スクリーンに映されたミクのCGは、ライブを盛り上げるための演出にすぎず、あくまでも主役は、楽曲であり、楽曲を演奏するバンドでした。初音ミクが映されない曲もあったみたいですから、集まった観衆にとっては、CGなんて、どっちでも良いことだったようです。

 「エンヴィキャットウォーク」のライブ動画とPVを見比べてみたいと思います。



 さすが、一流と云われているスタジオミュージシャンたちですね。もちろんPVには、PVの良さがあります。でも僕は、こんなライブ演奏を間近で見られるのならば、初音ミクが声だけで、姿が見えなくたって全然構いません。
 
 人間の女の子である「あやや」は、ファンを相手にカラオケコンサートをしますけど、「あやや」のライブで、カラオケ伴奏を聞きに来る奴なんていませんよね。みんな「あやや」の生パフォーマンスを見に来るわけでしょ。
 それに対して、コンピュータプログラムのアウトプットである初音ミクは、オタクを相手に生バンドライブをするわけですから、ミクのライブで、どんなバンドがバックを務めてくれるかは、ミクのCGの出来以上に重大な関心事です。ミクのライブがPVの上映会に過ぎなかったら、僕は意味が無いと思います。アマチュアの有志がイベントでやるならわかりますよ。でも、興行としてお客から何千円も取れないと思います。

 動画は、「からくりピエロ」のライブ動画とPVになります。バンドは、若い子たちですけど、頑張ってますね。音楽監督は別にいるみたいですが、バンドアレンジは、自分たちでやっているのかなあ?



 結局、初音ミクのライブの魅力って何なんでしょうか。正直云って、絶対、人間のライブの方が感動すると思います。でも、何て云うのかなあ、作りの物であるが故の面白さって云うか、ディズニーランドのアトラクションが本物じゃ無いことが分かっていても面白がっているのと同じって云うか、本物ソックリに作られた人形を面白がって眺めている気分って云うか。カップルで来ている男が、ステージに向かって「愛してるよ~」なんて叫んだりして。普通じゃ考えられないでしょw
 作りものであるが故の安心感があるんですよね。感動で泣いてる奴ってあまり見ないけど、皆で楽しめる。普通じゃ絶対隣り合うことの無い、秋葉系のオタクとヤンキーな兄ちゃんと小学生の女の子が、一緒に並んで楽しむことが出来る。ホントに変なアイドルライブだと思います。

 初音ミクのライブ会場で開演を待つ行列って、男も女も、子どももオジさんも、若者のカップルも中年夫婦も、オタク君もヤンキー君も、ファンの形態も千差万別。テーマパークの行列にどことなく同じ雰囲気を持っているのもそんなところからきているように思います。

 とは云ってもミクのライブって、終わった後に何とも云えない、虚しさが込み上げてくるんですよ。ミクが人間の女の子だったらどんなに素敵だろうって、タブーとは分かっていても、つい考えてしまうんですよね。だから、会場のオタクって、ムキになって盛り上がっていても、心のどこかでは冷めているように思います。まあ、その虚しさも含めて楽しむっていうのが、正しいファンの在り方なんでしょうけど。

 っていうか、本気で入れ込んでたらアブナイですよねw

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