2015年7月25日土曜日

N.S.P.

 時々、テレビや新聞にでる著名人の死亡報道。大抵は、過去の人ですし、僕はそういうことにあまり感情を動かされないタイプなんですが、NSPの「天野滋」さんの死亡報道には、その若さのこともあって、やはりショックを受けました。
 と云っても、天野さんが亡くなったのを知ったのは、追悼ライブの記事を読んでのことでして、「えっ死んでいたの?!」っていうのが正確なところなんです。リアルタイムで知ることができなかったことが、僕のような人間でもショックを受けてしまった原因なのかも知れません。

 「NSP」は、1973年にヤマハのポプコンからデビューした、一関高専出身の3人組フォークグループでした。彼らのあまりにもな、素人っぽさは、ギターを始めたばかりの中学生がコピーするには最適で、僕らも当時、「NSP」とか「かぐや姫」の曲集を買ってきては、その1ページ目から最後の曲まで、とにかく、片っ端から弾きまくり、歌いまくっていました。

 特に年齢的にも比較的近いNSPは、もしかしたら、自分たちもあんなふうになれるのかもしれない、という想いを持たせてくれる、ちょっと手を伸ばせば届きそうなアーチストでした。

 とにかくどの曲にも、思い入れがありすぎて、1曲を選ぶのは、とても難しいのですが、まずは、デビュー曲「さよなら」を貼り付けさせていただきます。ギターやベースの1つ1つの音、全部覚えてましたよw


 何が良いのか上手く云えないんですけど・・・、歌にそれほどメッセージが込められているわけでもないし、歌唱力もたいしたことないし、テクニックは、もっとたしたことないし、だいたい、こんな女々しい歌のどこが良かったんでしょうかw。

 「NSP」は、ヒットチャートとは無縁だったし、テレビに出てくることもなかったし、大きなコンサートホールなんて似合わなかったし、昭和の名曲になんて、あげてもらえないだろうけど、僕らは、NSPを聴いて感動し、懐かしさに胸を震わせることのできる、ピンポイントともいえる世代に入っているんです。
 「NSP」が「かぐや姫」や「さだまさし」と最も大きく違うところは、当時の大人たちには全然評価されてなかったところかもしれません。でも、中学生だった僕らは、偉大な「吉田琢郎」より「井上陽水」より、やはり「NSP」だったんです。
 
 2曲目は、「雨は似合わない」を貼り付けさせていただきます。最大ヒット曲は、「夕暮れ時はさびしそう」なんですけど、僕は、この「雨は似合わない」が、NSPのもっともNSPらしい曲だと思っているんです。
 このベースなら、僕にでも弾けそうですw


 NSPに影響されて、僕らは、親にせがんでギターを買ってもらい、仲間を集めてバンドを組みました。僕は、ひょんなことから、ギターでなく、キーボードを弾くようになったけど、「NSP」や「かぐや姫」をカバーしたくて、ギターコードを覚え、バイエルすら弾けなかったのにもかかわらず、ピアノでアルペジオやスリーフィンガーを練習してたんです。
 僕にとってのキーボードは、ギターと同じでした。フォークギターをきちんとギター教室で教わる奴なんていないように、僕は、ピアノを誰からも教わることなく、自分の好きな曲を、好きなように弾いてました。思うように弾けないときは、自分でも弾けるように勝手にアレンジしながらw

 中3の予餞会で、僕らは、ステージに立ちました。ボーカルの女の子にベースとギターとピアノの4人組。どんな曲を演奏したのか、もう記憶もあやふやなんですけど、「なごり雪」とか数曲やりました。
 全校生徒の前でのファーストステージは、感動する余裕もなく、ただ緊張したことだけ覚えています。

 そうなんですよ、高校で、僕がいきなりバンドに誘われた理由。あの目立ちたがり屋のベーシストは、僕と同じ中学の奴で、キーボードが欲しいって話が出たときに、ステージに立っていた僕のことを思い出したみたいなんです。
 と、話が繋がったところで、今日はお終いです。
 
 最後の曲は、「弥生つめたい風」で、いかがでしょうか。
 


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