2015年7月3日金曜日

宇宙戦艦ヤマト

 僕とヤマトとの出会いは、本当に偶然だったんです。ある日、弟が持っていたテレビランドを何気なく見ていた僕は、衝撃を受けました。それは、新しく始まったテレビ漫画「宇宙戦艦ヤマト」の初回放送を漫画で紹介したものでした。
 その漫画は、一緒に掲載されていたガキ向けの漫画とは、明らかに異なっていました。僕は、この作品の中の1ページ、あの一番有名な、海底に埋もれてたヤマトが発進する場面とカタカナで「ヤマト」と書かれたロゴに一瞬で魅了されてしまいました。


 僕は、月刊誌に掲載されていたヤマトのロゴをスケッチブックに写し取り、時間をかけてポスターカラーで彩色しました。毎週1点提出しなければならない美術の課題にこのロゴを使おうと思ったんです。

 僕が提出したヤマトのロゴを見て、柔道部の顧問でもある美術の先生は、「何だ、これは?」と言いました。級友達もヤマトのことは、知りませんでした。僕は、この強面の柔道家に、なんとかヤマトを説明しようとしましたが、焦れば焦るほど、話は支離滅裂になっていきました。先生は、僕をジロッとにらむと、「何言ってんだ、お前。」といって、再びスケッチブックに目を落としました。僕は、こんな物を課題に選んだことを後悔しました。もっと無難に静物でもスケッチしておけば良かったと。
 先生は、スケッチブックをしばらく眺めた後、片隅に小さく「5」と書きました。4に近い5。小さくどよめきが起きました。たとえ限りなく4に近いとはいえ、5は、滅多にもらえるものではありませんでしたから。「ポスターカラー使用賞だ。」先生は、スケッチブックを僕に返しながら小さな声で言いました。

 当時は、サザエさんのように家族で見ているものは別として、中高生にもなってテレビ漫画を見ていると親に怒られたものでした。かといって小学生では、ヤマトの良さが分かるはずもなく、結局、宇宙戦艦ヤマトは低視聴率のまま39話で終了してしまいます。
 ヤマトがブレイクして社会現象にまでなったのは、再放送が放送された時のことです。

 僕は、ヤマトのコミック本(松本零士氏の作品ではありません)や小説本、主題歌のレコードなどを買い集めました。僕は、ヤマトに登場する、「ワープ」や「波動」などの物理用語に惹かれ、ついに「ヤマト物理学研究会」なるものを、一人で立ち上げ、宇宙戦艦ヤマトのストーリーを物理学的に検証すべく相対性理論の解説書を買ったりもしました。もちろん、ほとんど理解できませんでしたけどw。未知の世界を解き明かしてくれる物理学という学問に、僕は憧れをいだいていました。
 しかし、僕のそんな物理学への憧れは、高校で受けた最初の力学の授業で、あっけなく崩れ去りました。以降、僕は理系でありながら、物理学が苦手科目という、苦難の受験生活をおくることになります。
 
 ヤマトの成功は、テレビアニメを見る年齢層を一気に引き上げ、その流れは、ガンダムへと続いていきます。ヤマトも盛んに続編が制作されましたが、僕は、その頃は、例によって完全に興味を失っていました。いえ、見たいなと思ったこともあったんですが、何故か、次の一歩が出ませんでした。新しいヤマトは、ストーリーの構成もメカニックデザインもアニメーションのできも向上していたと思いますが、僕の中では、何かが違っていました。僕は、第一作至上主義者だったのかも知れません。
 マスコミにもてはやされていた、西崎義展氏への反発もありました。「素晴らしいのは、ヤマトであって、お前でない」プロデュサーの役割など理解できない子どもの僕は、そう息巻いていました。西崎氏のヤマトに翻弄された波瀾万丈な人生を知ったのは、最近のことです。
 
 そんな僕でしたが、木村拓哉さんの実写版ヤマトは見に行きました。いろいろと批評されていたようですけど、僕の採点は、80点。正確に言うと、ガミラスが登場するまでの前半が120点、後半が40点です。
 特に、冒頭部分の地下都市の描写は、映画ならではの映像で、よくできていたと思います。これだけで僕は満足でした。
 
 結局僕は、最後まで、第一作至上主義者のままでした。

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