2015年4月8日水曜日

木幡まこ ~日本最古のご当地アイドル~

 平安時代に菅原孝標女によって書かれた更科日記。中流貴族の家庭に生まれた少女の平凡な日常は、微笑ましくもあり、切なくもあり、読んだ後に何とも言えないほのぼのとした気持ちにさせてくれます。
 更科日記の「足柄山」という段に、作者が13歳の時、都への旅の途中で出会った遊女(風俗嬢ではありませんよ!)の話がでてきます。日本人て1000年前から同じようなことしてたんだなって思いました。「こはた」という人の孫なので「木幡まこちゃん」って名付けました。ちなみに菅原孝標女は、「菅原サラちゃん」だそうですww。

【更級日記「足柄山」より都合良く抜粋】

遊女三人。五十ばかりなるひとり、二十ばかりなる、十四、五なるとあり。庵の前にからかさをささせて据ゑたり。
 昔、こはたと言ひけむが孫といふ。髪いと長く、額いとよくかかりて、色白くきたなげなくて、さてもありぬべき下仕へなどにてもありぬべしなど、人々あはれがるに、声すべて似るものなく、空に澄みのぼりてめでたく歌を歌ふ。
 人々いみじうあはれがりて、け近くて、人々もて興ずるに、「西国の遊女はえかからじ」など言ふを聞きて、「難波わたりに比ぶれば」とめでたく歌ひたり。
 見る目のいときたなげなきに、声さへ似るものなく歌ひて、さばかり恐ろしげなる山中に立ちて行くを、人々飽かず思ひて皆泣く。

【勝手に現代意訳】

 仮設の野外ステージで、50歳くらいのMCさん、20歳くらいのアイドル、14・5歳くらいの研修生によるライブが始まった。
 彼女の祖母は有名なタレントだったとのことだ。長く伸ばした髪を結び、前髪がとてもかわいらしく、その姿はキュートで清潔感にあふれている。「これならば大手のプロダクションでも十分通用するだろうに」などと話していると、美しい声は、口パクでも、かぶせでもなく、空に澄み渡るかのように歌い上げたので、ライブは、おおいに盛り上がった。
 握手会でのアドリブの効いた対応がまた素晴らしかったので、都のアイドルグループでもここまではできないだろうと感心するばかりである。
 やがてライブが終わり、彼女たちは撤収して帰ったが、ヲタクたちは、名残惜しくなって、いつまでも泣いていた。

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